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【艇王・植木通彦 不死鳥伝説】実戦ではまさかの「2コース」となり、助走距離のない位置からのスタートに (1/2ページ)

★グランプリへの道(3)

 いよいよボートレース界最高のひのき舞台・グランプリで不死鳥が羽ばたく時が来た。まさに3度目の正直の挑戦での栄冠だった。そして、この優勝戦はいまもファンに語り継がれる“史上最高の死闘”となった。

 1995年ボートレース住之江(大阪)で開催された第10回グランプリでは、たくさんの皆さんに支えられて優勝できました。もちろん私を応援していただいたファンの皆さんの力がエネルギーとなったのですから、いまでも感謝しています。

 グランプリ前検日(モーターの抽選などがある)に住之江に乗り込んだときは、この年に開催されたSGでは初日のドリーム戦に組まれるほど成績が定着していたので、一緒に走る有力レーサーの特徴もつかむようになっていました。3日間の予選では、グランプリ終了後にフライング自粛期間でレースに出場できなくなるので、スタートにも神経を使いました。それでも最低でも横一線のスタートを切って、あとは今まで積み上げてきたターン力で一つでも前の着順を目指して走ることだけを考えていました。

 その結果、優勝戦に乗ることができましたが、5号艇という、少し1枠から遠い枠番になりました。ボートレースは1コースが有利といわれています。従って1コースを取りやすい1枠が注目されます。私は枠番が決まってから、優勝戦当日の本番までどう戦うかいろいろと考えました。ただ、最初のチャレンジとは違い、不思議と落ち着いて過ごせていました。他のレーサーを観察することもできていました。

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