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【艇王・植木通彦 不死鳥伝説】「20年は現役で頑張る」と決意、そこから逆算しての行動を心掛けてきた (1/2ページ)

★「艇王」と呼ばれた全盛期(1)

 1995年に歴史に残る死闘を制してグランプリ優勝。それから前人未到の快進撃が始まる。SG10V、賞金王3V…いつしかファンは“艇王”と呼ぶようになった。

 初のSGレースは1991年にボートレース尼崎で開催されたボートレースダービーでした。デビューして5年での初出場。それ以来、幾多の困難やスランプがありましたが、さまざまな方からのご支援や家族の協力があって、2007年ボートレース平和島で開催されたSGボートレースクラシックまで長い間活躍できました。そしていつの間にか『艇王』と呼ばれるようになりました。

 私はその名に恥じないよう、その名にふさわしい人であろうとレースをしてきたつもりであります。その思いがファンの皆さんの記憶に残る数々のレースにつながったと思っています。

 また、この間に子供が3人誕生し、レースに専念できる環境を妻が作ってくれたことは、本当に感謝しています。自分がレースやレースへの準備で家を留守にすることが多く、子供の成長過程で大変な時期、あるいはお互いの両親との良好な関係づくりなど、一般的に夫婦で行うことを一緒にすることができず、妻が日々一生懸命頑張っていました。私はその頑張りに何とか応えようとレースに集中しました。

 中でも思い出深いのは、ボートレース界の最高峰であるSGグランプリです。当時も現在も年末のグランプリに出場することは全レーサーの目標であることに変わりはありません。私はシリーズ戦を含め、第8回から第21回まで連続して出場できました(第18回と第21回はシリーズ戦)。

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