記事詳細

【艇王・植木通彦 不死鳥伝説】「艇王」としての重責… スランプ脱出でファンといっしょに流した涙 (1/2ページ)

★「艇王」と呼ばれた全盛期(3)

 「艇王」と呼ばれた植木通彦氏だったが、なぜか勝てない時期もあったという。それを「スランプ」といってしまうのは簡単だが、なぜそうなるのかは難しいようだ。さすがの「艇王」も、そこからの復活には涙を禁じえなかった。

 活躍の裏には必ずやって来るのがスランプです。「艇王」といわれるようになってからは、自身は特にそういう問題はないと思っていても、周りの私に対する期待度は年々大きくなります。正直その期待に追い付くことで精いっぱいのような感じでした。

 私が新聞などに「不調」と書かれるようになった時期が、数年続いた頃がありました。

 1997年にボートレース常滑(愛知)で開催されたSGオールスターの優勝から4年ほど、年末のグランプリには出場するもののSG優勝から遠ざかっていました。

 年々ボートレーサーの技術は向上していました。そんな中で思ったように結果が出ない自分に焦っていたように思います。しかし、その間も目標に向かって諦めず取り組んでいました。

 その甲斐あって、2001年6月のボートレース唐津(佐賀)で開催されたSGグランドチャンピオン決定戦を優勝することができました。

関連ニュース