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【スポーツ界 記者が明かす平成“裏”事件簿】野茂英雄ノーヒットノーランの舞台裏 米メディア「英語で感想を」→「ないです」 (1/2ページ)

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 記者生活で見た最大の出来事は、野茂英雄投手がドジャースでノーヒットノーランを達成した試合を取材したことだ。

 筆者は野村克也監督時代のヤクルトを担当し、1996年は夏場に一時浮上したものの、そこまで。前年にNOMOフィーバーを巻き起こし、メジャー2年目を迎えていた野茂の取材のため9月に渡米。3試合目の同17日、ロッキーズ戦(コロラド州デンバー)で歴史的大記録を目撃することになった。

 雨が降り続き、試合開始は2時間も遅れ午後9時過ぎ。気温は10度を下回り寒かった。それでも試合開始を聞きつけたファンが続々と球場にやって来たのには驚いた。

 当時野茂の通訳を務めていた奥村政之氏(現ヤクルト球団編成部国際担当部長)がこう明かす。

 「『こんなに待たされたら、やりたくないでしょう?』と聞いたら、『いや、ドンドン日程をこなしていかないといけないし、スライドの方が嫌だからやりたいです』とロッカーでじっと試合開始を待っていました」

 野茂の人並み外れた集中力を物語る。

 ところが、雨でマウンドがぬかるみ、立ち上がりは制球が定まらない。私は「5回まで持てばいい方だろうな」と感じたのを覚えている。

 私はノーヒッターを日米通算5度見ているが、達成するのは意外にそんなときだ。野茂は3回からトルネード投法を封印し、走者がいなくてもセットポジションで投げた。これで制球が安定し、大記録につながったのだから何が幸いするかわからない。

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