記事詳細

【艇王・植木通彦 不死鳥伝説】「周囲に気遣いさせたくない」 同僚にも隠し通した引き際 (1/2ページ)

★引退(1)

 不死鳥の頭に「引退」が浮かんだのは2007年4月という。3月の東京・平和島SGボートレースクラシック優勝戦で大本命を背負いながら、わずかコンマ01秒の痛恨のフライング。その後、4月の故郷の福岡・若松のGI周年レースで転覆・落水した水中で決意したと著書で語る。フライング休みに入る前の引退を考えたというが、休み明けに「偶然フライングで迷惑をかけた」平和島のあっせんが入り、走らないわけにはいかなかった。平和島を走り、7月の徳島・鳴門の一般戦を最後の舞台と決意した。

 約20年の現役レーサー時代は、たくさんの皆さんに支えられ、数々の困難を乗り越え完全燃焼することができました。多くのボートレースファンの皆さんからたくさんのご声援をいただき、人生においても貴重な20年となりました。心から感謝の気持ちでいっぱいです。

 07年7月に引退をすると決めました。ボートレース鳴門での10レース選抜戦が私にとっての最終レースと記憶しています。少しそのレースの記憶をさかのぼると、結果は1枠で1コースからイン逃げで勝利しました。

 ところが、本番レース直前の控室で突然1コースからのスタートの方法が分からなくなり、発売締め切り時間が迫ると、急に怖くなったのを思い出します。パニック状態に陥ったのです。対戦メンバーにそのような雰囲気を見せてはいけないと思い、何度かトイレに行き、気合を入れなおしていたと記憶しています。やはりプロ競技はメンタル面が重要であるとこの時強く感じました。

関連ニュース