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【特別企画 レジェンドたちの改元】岡野雅行氏、『ジョホールバルの歓喜』から帰国後「友達が2000人増えてました」 (3/3ページ)

 --当時所属していたレッズのホームの浦和では…

 「駅前の仮設舞台に上がらされまして、『手を振ってくれるだけでいいから』って(苦笑)。何万人といたんじゃないっすかね。ボク総理大臣か?と思っちゃいました。家にやっと着いたら、お袋がテレビのワイドショーに出ていて(苦笑)。それも、どのチャンネルにも…。“岡野”って書いたはちまきして、どんだけテレビ出ちゃってんだって。1週間近くそんな状態でした。浦和の大原練習場も(人垣で)外が見えなかったですから。パトカーも来ちゃってね」

 --いい思い出

 「いや、最初はすごく嫌だったんです。みんなで乗り切ったのに、僕だけオイシイとこどりみたいで嫌だった。僕、(アジア予選で活躍したのは)あの試合だけでしたから。映像も見たくなかったです。だいたい4年ごとに出るじゃないですか。当時の自分の映像を見るだけで震えました。負けていたら、と思っちゃってね。十字架でした。15年くらい」

 --15年も…

 「娘が小学校にあがる前に、歴史図鑑を買ったんです。欲しいっていうから。聖徳太子から始まって…すると、娘が『パパが本に出てる』って。『いや違うよ、それはパパじゃなくてクロマニョン人だよ』って笑わせたんですけど、確かに僕でした(苦笑)。それも(1995年の)地下鉄サリン事件のあとに、ジョホールバルの歓喜が掲載されていた。そういえば、あの頃は嫌な出来事ばかり…でも、W杯に行けたことが日本にとって良いニュースだったんだって。それからです。みなさんに伝えていこうと思ったのは」 =つづく

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