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【怪物の名産地 岩手の謎】震災で父を亡くした佐々木は地元進学にこだわった 「野球ができない辛さ、できる喜び」を肌で知った (1/2ページ)

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 8年前の東日本大震災は岩手県、とくに沿岸部に津波の甚大な被害を残した。県内の人的被害は死者4672人、行方不明者1122人の計5794人。家屋被害は全半壊を合わせて2万6077棟(2018年2月28日時点)。亡くなった方々の中には県立大船渡高の最速163キロ右腕、佐々木朗希投手(3年)の父と、父方の祖父母も含まれている。

 「私はあの時、たまたま内陸部に出張へ行っていたので助かりましたが、家は流されてしまい、翌日から避難所を転々とする生活が始まりました。もしも地震が在宅していた夜に起きていたり、出張がなかったりしたら、自分はここにいなかったかもしれません」

 そう振り返るのは、岩手県高野連の前理事長で現・県立水沢高野球部監督の佐々木明志氏(55)。あの2011年3月11日当時は、県立高田高の教員として野球部の監督を務めていた。

 高田高では水泳部員7人と顧問の女性教諭が津波にのまれた。校舎やグラウンドも大きな被害に見舞われ、野球どころではなく、生きるための日々が始まった。

 「野球ができなくなって実感しました。野球ってまず、一緒にプレーする仲間がいて、プレーできる場所があって、道具があってできる。試合や練習をするとおなかが空くから食事も必要。汚れたユニホームを洗って、体をきれいにするためにはたくさんの水も要ります。どれが欠けても野球を続けることはできない」

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