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【艇王・植木通彦 不死鳥伝説】父の会社の経営が悪化 家を助けるため高校卒業を待たずに制服姿で一次試験会場へ (1/2ページ)

★ボートレーサーを志した高校球児(1)

 不死鳥がレース中の事故で大けがをしてから再起し“艇王”の名をほしいままにして20年、引退するまでの航跡をたどってきた。今回はそもそもボートレーサーを志した話を--。

 ボートレーサーを志した理由は、父親の経営している建設会社の経営が悪化し何とか助けてあげたいという思いでした。私はまだ高校在籍中の1985年のことで、当時は高校2年生でした。

 私の出身の福岡県北九州市は公営競技がたくさんあり、競馬、競輪などいろいろレースが行われていることは知っていました。でも、現在のようにボートレースについてよくわかっているわけではありませんでした。社会への役割やボートレーサーについての情報などは、あまり知る機会もなかったように記憶しています。

 そんな中でも、何度か父親とレース場に行った経験があり、その際に出場メンバーが掲載されている出走表を見ることもありました。その出走表にはいろんな情報が載っていました。よく見るとボートレーサーの募集要項も掲載されていたのです。当時の応募資格は、17歳以上23歳未満、体重55キロ以内だったと思います。なれるかどうか不安はありましたが、家を助けるという目的を果たすには、ボートレーサーになるしかないと徐々に思うようになりました。

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