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【甲子園剛球列伝】日南学園・寺原隼人、体調不良でもノルマ果たした“松坂超え”の154キロ (1/2ページ)

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 春夏の甲子園大会で初めて150キロの球を投げたのは、1985年(昭和60年)夏の高知商・中山裕章といわれる。筆者はこの大会を取材していた。余談になるが、PL学園の清原和博は、この大会で中山から「史上最長」といわれる左翼席中段への一発を放った。これは中山の速球が反発力を生んだからこそ、と思っている。

 その後、98年春には、「平成の怪物」となる横浜・松坂大輔が登場して150キロを出す。松坂はその夏に151キロ。沖縄水産・新垣渚もこの大会で並んだ。

 2000年代に入り「松坂超え」、つまり「甲子園最速」を出すと公言した右腕がいた。01年(平成13年)の夏に出場した日南学園(宮崎)・寺原隼人である。

 地方大会や練習試合で150キロ台を連発。「記録を作るために甲子園に来ました」と宣言していた。初戦(四日市工戦)でタイ記録の151キロを出したものの、試合後に発熱。玉野光南との2回戦前日は点滴を打つ最悪の体調だった。

 2回戦は先発を回避。ブルペンでどうしても投げたい衝動にかられていると、5回から救援指令が出た。その先頭打者への5球目だった。狙いとは逆に外角に行ってしまったストレートは捕手のミットを大きくたたいた。

 この当時はまだ甲子園球場のビジョンにスピード表示はない。寺原が知るのは試合後になるが、中継していたNHKの画面に「154km」と出た。大リーグ・ブレーブスのスカウトのスピードガンでは98マイル(157・68キロ)を計測。一時は158キロと報道されたが、現在は154キロということでおさまっている。

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