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【艇王・植木通彦 不死鳥伝説】訓練生として研修所へ出発 多くの人に見送られ一念発起「もう中途半端な気持ちでは…」 (1/2ページ)

★ボートレーサーを志す(3)

 不死鳥は福岡県立小倉商業高校2年在学中にボートレーサーを志望し日本モーターボート競走会養成所の試験を受けた。福岡県だけでも400人強が受験し、その中から合格者がわずか3人という狭き門を突破した。

 当時富士山のふもとの本栖湖に研修所がありましたので、第1次試験合格者はこの研修所で第2次試験と適性検査を受験することになりました。私は高校の現役でしたので、学科や体力は年上の方よりある程度自信はありました。規律厳しい生活でしたが、特に問題もなく、経済的に苦境に陥った家族を助けるための通過点という強い気持ちで受験しました。そして見事に合格すると、いよいよ現実味が湧いてきました。これでボートレーサーになるための1年間の訓練を受ける資格ができたわけです。そして1年間の訓練を終えればプロになれるところまで来ました。

 同時に不安も大きくなりました。それは、私にはまだボートレースやボートレーサーについての情報が乏しく、もしかしたら1年間耐えられないかもしれないという不安があったからでした。結局、高校は一時休学の状態で、研修所に入所することにしました。

 不死鳥は第59期訓練生として1985年10月、山梨県にあった本栖研修所に入所することになった。まだ、高校生だった不死鳥がボートレーサーになるという話は高校中で話題になった。その結果、不死鳥が本栖に向かう夜、JR小倉駅で感動的な情景が展開された。

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