記事詳細

【江尻良文の快説・怪説】“長嶋氏に背番号3を譲った男”千葉茂さんが復活 25日に「生誕100周年マッチ」 (1/2ページ)

 日本野球機構事務局会議室で19日に「えひめ愛・野球博」の記者会見が開かれた。昨年から始まり、東京五輪開催の来年まで3年間にわたって野球の魅力を次代に伝えるイベントだが、今月25日には愛媛県松山市の坊っちゃんスタジアムで行われる「四国アイランドリーグplus・愛媛マンダリンパイレーツVS巨人3軍」の試合(午後6時開始)を「千葉茂氏生誕100周年メモリアルマッチ」と銘打つ。同スタジアム内の「の・ぼーるミュージアム」では、「千葉茂氏生誕100周年記念展」が31日までの予定で開催されている。

 ミスター・ジャイアンツこと長嶋茂雄氏(83)も、大喜びだろう。千葉氏は1919年5月10日生まれで、愛媛が生んだ名二塁手。流し打ち、ファウル打ちの名人としても知られ、巨人軍第一期黄金時代を築き上げ、“猛牛”の異名を取った。56年限りで現役を引退し、57年にはコーチ。58年に立大から巨人に入団した長嶋氏に背番号「3」を譲ったのが、千葉氏だった。それ以降、2人は固い師弟関係を築き上げていった。

 長嶋氏が監督時代に、FAで落合、清原ら大物選手を次々と獲得し「何でも欲しがる長嶋さん」と揶揄されると、千葉氏はこうピシャリと反論した。「何もわかっとらんな。長嶋監督だからこそ、どんな大物選手も言うことを聞くんだ。長嶋以外が監督なら空中分解するぞ」と。

 長嶋氏も「千葉さんは恩人」と事あるごとに感謝。筆者が今でも思い出すのは、千葉氏が「嗚呼・我が心の長嶋茂雄」という本を出版した時のことだ。本の締めの部分を長嶋氏から千葉氏へのアンサーコールにするために、出版社から頼まれ、筆者が宮崎キャンプ中の長嶋監督にお願いすることになった。

関連ニュース