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【山崎武司 メッタ斬り 生涯ジャイアン】大恩人の高木守道さん 引退報告の際は「あっそ」と“高木節” 去り方も「スーパースター」でした (1/2ページ)

 元中日監督の高木守道さんが17日に78歳で亡くなりました。最後にお会いしたのは、昨年11月末のドラゴンズOB会。そのときもお元気だったので、本当に驚きました。

 私にとっては、ドラゴンズに復帰させてくれた大恩人です。2011年に楽天を退団。できればドラゴンズに戻りたいとダメ元で当たってみたのですが、最初は「正直言って難しいな」という感触でした。

 そこで諦めずに球団代表だった井手峻さん(現東大監督)に直接連絡すると、「俺の一存では決められない。高木監督に聞いてみる」と話を通してくれました。しばらくすると、「帰ってきていいぞ」。もしも高木監督が「ノー」と言っていたら、10年ぶりの復帰はかないませんでした。

 当時は一塁に大砲のブランコがいたのですが、オープン戦で絶不調。私は調子がよく、広島との開幕戦(ナゴヤドーム)に「4番・一塁」で起用してくれました。

 ところが、4月下旬にインフルエンザにかかると、体調がなかなか戻らず成績も残せなかった。巨人とのクライマックス・シリーズのファイナルステージでは、3連勝で下克上に王手をかけた第4戦で、2点を追う6回2死満塁の大事な場面で沢村から三振。そこから3連敗で、日本シリーズ進出を逃しました。

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