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【江尻良文の快説・怪説】野村克也氏“ヒマワリ”ONとの深い絆… ヤクルト・野村vs巨人・長嶋の遺恨戦はファンへのアピール戦術だった (1/3ページ)

 南海(現ソフトバンク)で戦後初の三冠王に輝き、ヤクルトを3度の日本一に導いた野村克也さんが11日午前3時半、虚血性心不全で死去した。84歳だった。南海の捕手兼任監督、ヤクルト、阪神、楽天監督で通算1565勝。球史に残る名選手、名将、名解説者として、球界に多大な功績と人材を残した。

 ■「アリが象を倒すから野球は面白い」

 「ONがヒマワリなら、オレはひっそりと咲く月見草」。選手として“生涯一捕手”、監督としても“ID野球の名将”で野球人生を全うした野村克也氏の名言だ。

 六大学のスーパースターとして1958年に立大から巨人入団。いきなり本塁打王、打点王の2冠王に輝き、新人王を獲得。そのまま「ミスター・ジャイアンツ」「ミスタープロ野球」の座へ上り詰め、巨人軍監督を2度務めた長嶋茂雄氏(現巨人軍終身名誉監督)。

 長嶋氏入団の翌59年、今度はセンバツで優勝投手にもなった名門、早実・王貞治が巨人入り。投手から打者に転向し、メジャー記録を大きく塗り替える生涯本塁打868本塁打で“世界の王”として君臨している。

 そんな永遠のスーパースターONに対し、野村氏は54年に無名の京都峰山高から南海にテスト入団。そこからひたむきな精進の結果、パ・リーグを代表する打てる捕手、「生涯一捕手」としてプレーイングマネジャーまで務めた。その後、ロッテ、西武とパ一筋で45歳までプレーした。

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