記事詳細

【Tokyo1964秘録】柔道無差別級・神永昭夫 「柔道」が「JUDO」になった日 (2/2ページ)

 柔道の技だけでなく柔らの精神もしっかりと身に着けた王者だった。

 敗れた神永も潔かった。「ヘーシンクは強かった」と悔し涙も見せず、翌日、何事もなかったように社業に向かったという。しかし、その後指導者として明大の後輩、上村春樹を育て、モントリオール五輪無差別級で優勝させた。その五輪で金確実といわれた軽量級の南喜陽はよもやの2回戦敗退。責任を感じた南は選手村の自室に閉じ籠もり報道陣はじめみんなが「自殺するんでは…」と心配した。

 しかし、彼はその後、日本女子柔道の強化委員として金メダリストをたくさん輩出した。大ショックにも自暴自棄にならず指導者としてしっかり歩んだ神永の生きざまが南に受け継がれたといえよう。

 ところで、金メダルに輝いたヘーシンクは言っている。「自分が勝ってよかった。4階級すべて日本選手が制したら、柔道はローカルな競技として五輪種目から外されていただろう」

 64年10月23日。日本柔道がヘーシンクに打ちのめされた日は柔道がJUDOとして国際スポーツになった歴史的な日なのだ。神永は93年に56歳で、ヘーシンクは2010年76歳で死去したが、柔道界は女子が五輪種目に加えられたり、青い胴着が採用されるなど着実に発展している。

 ■柏 英樹 64年報知新聞社入社、記者生活をスタートさせる。東京五輪をはじめモントリオール、アテネ五輪など取材、71年から巨人担当、ON番記者を務め両氏とはいまなお親交が深い。99年独立しフリーに。青学大時代ラグビー部の主将を務めたことから昨年のW杯もフルカバー。今年2度目の東京五輪を現役記者で迎える。78歳。

関連ニュース