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【実況・小野塚康之 時代を超える名調子】心に穴が開いた“球春”に私ができること 「センバツ入場行進」仮想実況 (1/3ページ)

 「春はセンバツから」とは、すっかり定着したアナウンサーの大先輩・元NHKの野瀬四郎さんの名言だ。東大寺のお水取り(修二会)から発想され“センバツ”を春を運ぶ風物詩と位置付けた見事な表現だ。ところが今年は“春告げ鳥”がやってこないのである。

 私の自室からは窓越しに甲子園球場が臨める。ライトスタンドの外壁や照明塔、スコアボードの一部を…“ドア・ツー・マイク5分”(家を出てから甲子園の実況席のマイクの前に到達するまでの所要時間)という環境である。兵庫県西宮市の阪神甲子園球場界隈、この辺りでは春と夏の高校野球が暮らしの中に溶け込んでいる。

 この季節の挨拶は「間もなく始まりますなぁ」とか「今年は○○高校が強そうですね」とか「注目の○○選手の試合は見に行きますわ」とか「アルプススタンドの歓声を聞くと元気が出ますわ」などと足を止めての立ち話となり、町内のコミュニケーションが活発になる。私も毎年3月に入ると、組み合わせ抽選会、甲子園練習、対外試合等々を追いかけ、徐々に冬から春へと野球の動きが活発化する中でテンションが上がっていく。

 でも今年はだめだ。いつも“ある”はずのものが“ない”というのはツーレツな肩透かしであり、地域の活気まで奪われたような気がする。住人のやり取りも通りすがりに「中止は残念ですなぁ」とか「選手は可哀そうでんなぁ」で終わってしまう。期間中50万人以上訪れる観衆を目当てにしている商業施設もお手上げ、この辺りの名所の一つ通称・野球神社に向かう必勝祈願の流れもピタリと止まったままだ。

 心の中にぽっかりと穴が開いているのを感じる。私が生まれてからこちら、62歳になるまでセンバツが行われなかった年はない。仕事として甲子園と関わるようになってから40年、初めての体験に戸惑うばかりだ。しかし自分のことなど言っていられない。