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【江尻良文の快説・怪説】追悼・関根潤三さん 関根氏が貫いた「長嶋茂雄命」の野球人生 (1/2ページ)

 9日、関根潤三氏が93歳で老衰のために死去した。現役を終えてからの野球人生は、1982年から3年間は横浜大洋ホエールズ(現DeNAベイスターズ)監督、87年からの3年間はヤクルトスワローズ監督を歴任した。それは巨人・長嶋茂雄監督への償いだった。

 長嶋第1次政権の初年度、関根氏はヘッドコーチに招聘された。V9巨人担当記者たちからは、「ミスターと関根さんの接点はないはずなのに」と、サプライズ人事として受け取られた。後に、関根氏は現役時代から試合後、東京・田園調布の長嶋邸にある地下室のスイング部屋を訪れ、マンツーマンの深夜の素振りを繰り返していたことが明らかになっている。

 華々しくデビューした長嶋監督だが、球団ワースト記録を数々更新。たまりかねてシーズン途中、東京駅から広島駅まで新幹線移動の車中で、関根ヘッドコーチを独占直撃した。

 「V9時代の居残りのベテランと、これから育てなけばいない若手の指導をうまく融和できないコーチの責任だ。特にヘッドコーチ責任は重い。恥をかかせて長嶋さんには本当に顔向けできないよ」

 こう悲痛な本音を漏らした関根ヘッドコーチは、巨人軍史上初の屈辱となる最下位の責任を取らされ、潔く2軍監督に配置転換された。長嶋監督も80年限りで退任。浪人生活に入った。

 その後の関根氏は大洋、ヤクルトで監督に就任する際にこう明言している。「長嶋さんにもう一度、監督になってもらいたくて監督を引き受けました」。つまり両球団とも、将来的な長嶋監督招聘の布石として、関根政権を誕生させたのだ。

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