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【Tokyo1964秘録】レスリング・八田一朗 64東京五輪、レスリング躍進の裏に“八田イズム” (2/3ページ)

 早大在学中の1929年、八田が所属した早大柔道部が米国遠征しレスリングに負けたことから帰国後大学にレスリング部を創設。これが日本レスリングの1歩を記すことになる。その後「舶来かぶれの異端児」といわれるなど苦難の道を歩みながらも徐々に日本にレスリングを根付かせていった。

 64東京五輪招致にも奔走した八田の選手強化法はいまだに語り草となっている。例えばー。

 ライオンとにらめっこさせ集中力と度胸をつける。夜中に突然起こして練習、時差ボケ対策や体調が万全でない状態でも力を出せるようにする…等々。流行語にもなった極め付きは「剃(そ)るぞ!」だ。ふがいない試合をしたり逃げ回ったりする選手は上の毛だけでなく下の毛も剃るというわけ。実際剃られた選手もいたという。

 金メダリストの渡辺長武は「負けたら絞首刑だぞ、といわれた。本当にそうされるような迫力だったが、その裏には“お前を信じてるよ”の意味がこめられていた。本心は優しい方でしたよ」といい吉田義勝も「決して暴力的ではなかったし、いまでいうパワハラでもない。きついことを言われてもすべてわれわれがよくなるよう愛情がこめられていた」といっている。

 とにかく「レスリングを世に広めたい」と熱望していたためか選手たちに「少々かっこ悪いことでもいい。とにかく記事にしてもらってレスリングの話題が新聞に載るようにしろ」とマスコミサービスを奨励していた。

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