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【Tokyo1964秘録】マラソン・円谷幸吉 銅獲得“一瞬の輝き放った”一番評価が低かった男 (1/2ページ)

 1964東京五輪のマラソンは10月21日、国立競技場をスタート、ゴールで甲州街道の飛田給(現在の味の素スタジアム付近)を折り返す42・195キロで争われた。陸上競技の最終種目(女子マラソンは84年のロサンゼルス大会から)ということもあり、スタンドは皇太子ご夫妻(現上皇ご夫妻)はじめ7万人の観衆で埋まり、沿道には往路、復路あわせて約120万人と空前の人出となった。

 夜来の雨も上がり気温18・8度、湿度80%。どんよりとした空のもと、日本代表の寺澤徹(倉レ)、君原健二(八幡製鉄)、円谷幸吉(自衛隊体育学校)の3選手含め35カ国68選手が栄光を求めて走った。

 レース前半はローマ五輪より1分ほど速いペースだったが、ローマの覇者アベベ・ビキラ(エチオピア)が調布市付近の18キロからトップに立つ。アベベは同国の皇帝ハイレ・セラシエ1世の親衛隊員で、マラソン歴わずか3戦でローマ五輪に挑み、しかもシューズが壊れたため裸足で走り2時間15分16秒2の当時の世界最高記録で優勝。ゴールしたアベベに各国報道陣が「一体何者なんだ」と騒然としたのは当然だろう。しかし、エチオピアに初の金メダルをもたらしたアベベは英雄となり、“裸足の殿下”として各国のマラソン大会に招待される人気者になった。東京五輪の開会式ではエチオピアの旗手をつとめている。

 折り返しを過ぎて27キロあたりから独走態勢だ。8月の国内予選前に盲腸の手術をしたというが、そんな影響を全く感じさせない走り。表情一つ変えず、しなやかに前進するその姿は「走る哲学者」といった趣だ。トップで競技場に戻ってくると観衆は総立ちで迎える。史上初の五輪マラソン2連覇、しかも、ヒートリー(英国)の記録を1分44秒縮める2時間12分11秒2の世界最高記録で飾る快挙だった。エチオピアの平均標高は2400メートル。その高地から生まれたアベベの底知れぬ強さから各国がこぞって高地でトレーニングをするようになった。

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