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【田所龍一 虎番疾風録 Vol.47】赤ヘル優勝! 江夏、歓喜のバンザイ「これがオレが長い間夢見てきた優勝の味なんや」 (1/2ページ)

 1年生記者はどこへでも行かされる。もちろん担当記者の“お手伝い”なのだが、これがまた楽しい。

 昭和54(1979)年10月6日、筆者は広島市民球場(阪神・広島戦)に来ていた。当時は広島市の繁華街、中区基町の中央公園内にあり、目の前の道路を市電が走っていた。記者席に特徴があった。甲子園や後楽園はネット裏のスタンドに隣接。ナゴヤや横浜、神宮はバックネット裏。広島球場はスタンドの1階席と2階席の間にあり、ゴンドラの中からグラウンドを見下ろして観戦した。

 同点で迎えた七回、広島は投ゴロの高橋慶彦が小林繁の一塁悪送球で三塁へ進み衣笠祥雄のスクイズで勝ち越し。八回にはギャレットの2ランで3点差とした。九回、阪神も江夏豊から2点を奪いさらに1死一、二塁としたが佐野仙好が二直併殺。この瞬間、広島の4年ぶり2度目のリーグ優勝が決まった。

 「やったぁ!」マウンドで両手を広げて跳び上がった江夏。午後9時28分、25発の花火が打ち上げられた。古葉竹識監督率いる“赤ヘル軍団”の黄金期の始まりである。

 余談だが「赤ヘル」の愛称がついたのはルーツ監督が就任した昭和50(75)年(途中から古葉監督に)。

 「野球に対する情熱を押し出そう」と赤を基調にした新ユニホームを提案した。が、経済的な理由で従来通り胸の「CARP」も背番号やアンダーシャツも濃紺のまま。帽子だけが赤に変更された。だから「赤ヘル」。ちなみに昭和52(77)年からすべて赤色になった。