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【Tokyo1964秘録】日本メダルラッシュの立役者! 体操・小野喬 (1/2ページ)

 1964東京五輪で日本は16個の金メダルを獲得したが、レスリング(金5個)と並んで荒稼ぎしたのが男子体操だった。男子は、団体総合、個人総合、種目別6種目の計8種目(女子は6種目)で争われ、うち日本は5種目で金メダル。会場となった東京体育館は連日喜びの波に揺れた。

 日本のメンバーは前回のローマ大会、初の団体総合で優勝したときの小野喬、遠藤幸雄、鶴見修治、三栗崇4選手に早田卓次、山下治広を加えた6選手。

 チームの主将は日本選手団の主将でもあり、開会式で選手宣誓の大役を務めた小野喬(当時33歳)で、メルボルン、ローマ五輪鉄棒で2連覇。「鬼に金棒、小野に鉄棒」と言われ、東京、さらにメキシコと五輪4大会に出場して金5、銀、銅各4個を獲得したレジェンドだった。

 ただ、東京ではピークを過ぎていたうえ、大会前に肩を傷め麻酔注射をうっての苦しい出場となったが、「われわれの練習量は世界一。普段通りの演技をすれば絶対負けない」とチームを激励。

 精神的支柱となったこの小野をリーダーに個人総合と種目別平行棒で金メダルをとったエース遠藤幸雄、個人総合と2種目で銀の安定した鶴見修治、つり輪金の早田卓次、跳馬金の山下治広のスペシャリストをそろえた日本は強くソ連(現ロシア)を抑えて団体総合2連覇を果たした。

 日本は東京後もメキシコ、ミュンヘン、モントリオール五輪で団体総合を制し五輪5連覇、「体操ニッポン」の名を世界にとどろかせるのだ。

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