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【田所龍一 虎番疾風録 Vol.48】昭和54年、西本幸雄監督率いる近鉄が初V! 砂漠に「城」が建つ (1/2ページ)

 昭和54(1979)年10月16日、西本幸雄監督率いる近鉄は、後期を制した梶本隆夫阪急とのプレーオフ、1、2戦と連勝し第3戦に臨んだ。もちろん筆者も西宮球場にいた。

 延長十回、近鉄は先頭の梨田昌孝が中前打。吹石徳一のバントが投手稲葉光雄の野選を誘い無死一、二塁。石渡茂の送りバント、永尾泰憲の四球で1死満塁とすると阪急は山田久志をリリーフに投入。2死となり続く小川亨の当たりは平凡な遊ゴロ。が、この打球を井上修が弾(はじ)き決勝点を奪った。午後4時52分、阪急最後の打者簑田浩二が三振。球団創立30年目で初のリーグ優勝が決まると、一、三塁側の両方のスタンドから5色のテープが投げ込まれ、ファンが総立ちとなって西本監督をたたえた。

 「長い間、辛抱してその瞬間を待ってくださった皆さん、ありがとう! 阪急城を崩すのは長いつらい道のりでしたが、やっと実現させることができました」。西本は深々と頭を下げた。

 24年オフに「パールス」の愛称で誕生した近鉄はとにかく弱かった。37年に「バファローズ」になっても万年Bクラス。30年代から40年代前半はオープン戦の日程が決まるのも毎年最後。他球団のスケジュールを聞き、空いている日に頼み込んで試合を入れてもらっていたという。地方でゲームを主催する際も興行主から「商売にならん」と買ってもらえず、「赤字が出たときには球団が負担しますから」という条件でやっと開催にこぎつけた。

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