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【あの名場面の裏側】G戦士編 9回2死から“青い稲妻”盗塁…常識破りの長嶋采配 (1/2ページ)

 7月19日のDeNA対巨人戦。9回表、1点を追う巨人は2死となったが、坂本が四球で出塁すると代走に切り札の増田大が送られた。

 増田大はすかさず二盗に成功。続く丸の二塁内野安打で一気に生還して3-3の同点に追いつくと、岡本の2ランで逆転勝ちした。崖っぷちで盗塁させた巨人・原監督の「大胆な作戦」がたたえられたが、43年前、当時の長嶋監督が指示した9回2死からの盗塁は「なんと無謀な作戦か」とネット裏を騒然とさせた。

 1977(昭和52)年4月19日、甲子園での阪神-巨人戦。2-3と1点リードされた巨人9回表の攻撃も簡単に2死となった。

 が、巨人はこの“死の淵”から猛反撃。六番・土井正三(故人)が渋い内野安打で、小さな芽をつくると、長嶋監督はここですかさずルーキーの松本匡史を代走に送った。ここまではごく普通の采配だが、そのあとの攻めが意外だった。

 まず7番上田武司に代えて山本功児(故人)を送る。その狙いはチャンスに強い山本功の長打に期待し、俊足の松本が一気に生還する。そう想像できた。

 しかし-敵も味方もあっと息をのみ、スタンドがどよめいたのは阪神・古沢憲司投手の2球目のフオークボールが投げられたときだった。一塁走者の松本が突然、二塁に向かってスタートを切ったのだ。当時、リードされているチームが9回2死から盗塁を仕掛けるような作戦はなかった。

 「大胆というよりは無謀。もし、盗塁が失敗したら即ゲームセット。土壇場で生か死のバクチを打ってよいものか。結果はどうあれゲームセットになる危険を避けるのが指揮官の取るべき作戦だろう」という記者、評論家の意見が強かった。

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