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【実況・小野塚康之 時代を超える名調子】デビュー戦は雨中継から(上) 直前の熱戦に救われた“無実況”30分 本格左腕擁する強豪・享栄VS初出場・新湊の「激闘投手戦」 (1/3ページ)

 NHKに入り生涯にわたって野球中継に携わりたいと、最初の高いハードル・高校野球の甲子園の全国放送の担当をクリアしようと新人時代は実況の技を磨いた。

 鳥取4年、金沢で2年目、多くの先輩や、それぞれの地域の高校野球の関係者の皆さんに支えていただきながら昭和61(1986)年春、その目標に到達することになった。われわれアナウンサーも出場校と同じような経過を踏む。甲子園を目指すアナウンサーは全国に大勢いてその中から数人が新人としてその年選ばれる。各地の秋の大会の実況が審査され全国中継担当者としての出場権が得られる。選手同様秋に好成績を残し選考委員会からの吉報を待つ。

 私の時代はセンバツのスケジュールと全くリンクしていたので2月1日に本人に電話で通知が来た。受話器を握りしめガッツポーズした記憶がある。初出場校の気分を味わいつつ、「やがては決勝戦も」と全国制覇もちょっとだけ視野に入れていた生意気さも秘めていた。「野球アナウンサーとしてスタートできたら最後まで第一線で走り続けるぞ!」「野球の勉強だったら惜しまない!」「私が一番面白く野球を伝える!」などなど思い切り調子に乗っていた。とにかくハッピーだった。

 昭和61年3月、第58回センバツの舞台に立った。ここに至るまで取材をして原稿を書いたり、ディレクターの補助役として甲子園の経験を積んできたが、“実況”という立場で乗り込む気分は格別だった。開幕前日、早起きし、誰もいない“甲子園の放送席”に一人立った。バックネット裏の上段、深呼吸を一つして眺める。そびえ立つ漆黒のスコアボード、その天辺に大時計、ポールの先で春風を受けてなびく連盟旗、主催新聞社旗、なだらかなスロープを描くアルプススタンド、目の前にせり出す銀傘。なんと美しい光景か! スタンドを埋め尽くしたファンの歓声が私の中でこだまする。喜び、期待、高揚感、目に入る全てがこれまで以上に輝いている。私にとって人生の球春到来だった! 同時に背筋がぞくぞくするような緊張感が突き上げてきた。

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