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【福島良一 メジャーの旅】いつも大声で「コニチハ!」 “ミラクルメッツ”の立役者、トム・シーバーさんの思い出 (2/2ページ)

 その辛い時期を挟んで、74年メッツ、78年にレッズの一員として日米野球で2度来日。彼のデビュー当時、パンチョさんも取りつかれた日本人好みの投球フォームが人気を呼んだ。また、巨人・王貞治との一騎打ちが人々の関心を集めた。

 現役最後の86年6月、レッドソックスに移籍したとき、私はロッカールームにいた。すると、あのロジャー・クレメンスが「シーバーが来た!」と大はしゃぎ。のちに彼を超える通算成績を収める若きエースも興奮するほどの大投手だった。

 91年、東京で米国野球映画展が開かれ、ナンシー夫人を連れて再来日。そのとき、NHK衛星放送で彼の特集番組が作られ、光栄にも本人と出演。彼がメッツのチームカラーに関する問題を出してきたとき、チームへの愛着と誇りを感じた。

 その後、ニューヨークの球場で会うと、いつも大声で「コニチハ!」と話し掛けてくれたが、昨年3月に認知症のため公の舞台から引退。もう、この世にミラクルメッツのエース、栄光の背番号41の姿はない。 (大リーグ評論家・福島良一)

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