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【田所龍一 虎番疾風録 Vol.67】ブレイザー監督と報道陣“対立”のきっかけ 岡田彰布の起用めぐり「お前たちが監督をしてみろ」 (1/2ページ)

 恐れていたことがついに現実となった。テンピ・キャンプも終盤に入った1980年3月4日、雨天中止となったグランドキャニオン大との練習試合で、岡田彰布を先発メンバーから外し、デーブ・ヒルトンを「7番・一塁」で起用する予定だったことが判明したのだ。

 「シーズン中には故障者も予想される。1人の選手が2つ以上のポジションをこなせたらベストだろう」と説明したものの、ドン・ブレイザー監督の頭の中にはヒルトンをどう使うか-しかなかった。

 フロントは岡田をドラフトで獲得した時点で「遊撃」か「二塁」で育てる構想を描いた。「中堅」には外国人選手を入れてセンターラインの強化。だから、キャンプ前の自主トレでブレイザー監督が「岡田一塁」を打ち出したとき、小津正次郎球団社長は「看板になる選手は外野よりも、内野に置かなくてはいけない。まだ一塁ならお客さんも喜んでくれるだろうが…」と渋い表情をみせた。

 6日、大洋とのオープン戦ではヒルトンが「2番・一塁」で起用され、岡田は先発から外された。そのヒルトンが三回、大洋の先発・田中由郎(よしお)から左中間へ特大のホームランを放った。

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