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【実況・小野塚康之 時代を超える名調子】高校野球に学ぶ 昭和を勝ち抜いた広商の知恵(上) 「江川を打てなくても作新に勝てる」 (1/3ページ)

 『江川を打てなくても作新に勝つ』-大会に挑む監督のコメントだった。

 「それはどういう意味?」「どうやって勝つの?」と不思議に思いつつ非常に引き込まれた。それは1973年春第45回大会、怪物と称された江川卓投手を擁する栃木・作新学院打倒を目標に甲子園制覇を目指した広島商業迫田穆成(さこた・よしあき)監督が掲げたスローガンだった。

 抜群のキャッチだったがなんとその通り“怪物江川”に勝った! 長い歴史の中で高校生の指導法や甲子園の戦い方などでその手本となり、リーダーシップをとったチームは、それぞれの時代に存在するが、昭和から平成の初めにかけて全国で最も注目されたのが“広商野球”である。

 広島商業に対して子供の頃の私は、伝統ある高校野球の名門で、素質の高い選手を集め厳しい練習で鍛え抜く野球学校と受け止めていた。

 ところが徐々に実情を知る。公立であり、大規模校ではなく、全校生徒のうち女子がほとんどを占めるなど、いわゆる甲子園の常連校野球部の中では異質で、決して野球環境に恵まれていたわけではないことに気付いた。

 こうした条件からすると、例えば強豪私立を相手に戦えば、時には善戦できても勝ちには至らないだろうし、真紅、紫紺の優勝旗を手にするなど夢のまた夢ではないかと思えた。

 現実として複数回全国の頂点に立っているチームには、PL学園の超高校級、清原和博&桑田真澄のK&Kコンビや立浪和義、やまびこ打線池田の投打の柱・水野雄仁、横浜の平成の怪物投手・松坂大輔、長身の速球王・大阪桐蔭の藤浪晋太郎、報徳学園の大黒柱・金村義明、さかのぼれば、早稲田実業のスーパー左腕・王貞治、スター軍団法政二高のエース柴田勲や浪花の剛腕・浪商の尾崎行雄…そんなウルトラスーパースターがいた。

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