記事詳細

【実況・小野塚康之 時代を超える名調子】高校野球に学ぶ 名勝負を掘り起こせば(下) V9戦士・柴田と高田を生んだ因縁 (2/3ページ)

 長嶋を中心に王貞治はじめV9戦士たちをチェックしていく。その中で“赤い手袋の柴田”には早いころから関心を持った。スイッチヒッターというのがしゃれていて右でも左でも打てるというのが羨(うらや)ましく自分でも試したがとても難しい。『こりゃ大変な運動神経の持ち主なんだなぁ』と舌を巻いた。加えて盗塁王だ。夏春連覇の法政二のエースで鳴り物入りで巨人入りし野手に転向したことも知った。

 その柴田の活躍を追うように高田が明治大学から即戦力外野手と期待されて入団した。1年目からレギュラーとなり新人王に輝く。やがて1、2番に並ぶこともあり、逆に俊足が持ち味の二人はライバルにもなった。高田のプレースタイルは大好きだった。打撃では強烈なラインドライブのレフト線の打球が“高田ファウル”と呼ばれ、歓声からため息に変わる定番の見せ場でもあった。あのファウルが楽しみだった。切れないでヒットになった方がつまらなかった記憶があるほどだ。利き手が強いからとナイターの解説者が言っていた。

 レフトの守りでは打球に対する反応が誰よりも素早く、フェンスに絡むプレーも巧みで“塀際の魔術師”と称賛された。反射神経と動体視力にも優れていた。右手の強さが際立つ鋭いドライブを放ち、守備で見せる俊敏なフットワークの高田はほかのスポーツでも超一流になれる素質を持っていたと聞く。特に、趣味でもあるテニスはプロ級の適性があったと専門家が評価していた。思い出しそんな能力に恵まれていたからこそ浪商で1年生からレギュラーを取れたのかといまさらながら納得した。

 しかし、野球の世界で成功者になれた高田の原点はあの法政二戦、それは柴田に味わわされた痛恨の体験だった。1回裏法政二の攻撃、2死1塁、ピッチャーながら俊足の1塁ランナー柴田がスタート、打球は三遊間を破るヒット、レフトの高田は柴田の3塁進塁は間に合わないと判断、打者走者の2塁進塁を防ごうと型どおりセカンドに緩く返球した。柴田は3塁にとどまらずベースを蹴っていた。送球の間に柴田は一気にホームに還っていた。

関連ニュース