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【橋上秀樹 セパ興亡30年史(8)】交流戦が「楽しみ」だった楽天コーチ時代 セ・リーグに新規参入ならもっと勝てていたかも (1/2ページ)

 日本ハムを戦力外となった1999年オフ、私はヤクルト時代の恩師の野村克也監督が率いる阪神に移籍。2000年限りで現役を引退した。

 05年に新規参入した楽天のコーチになったが、球界から離れていた4年間で、明らかにセとパの実力差がついたと感じさせられることになった。

 田尾安志監督の1年目は38勝97敗1分に終わったが、この年からスタートした交流戦がなければもっと負けていた。パ・リーグとの対戦だけだったら、100敗していただろう。交流戦では11勝25敗。パ球団と対戦したときよりも勝率がよかった。楽天がセ・リーグに参入していたら、もっと勝てたと思うくらいだ。

 野村克也監督に代わった2年目以降も、交流戦が来るのを楽しみにしていた。実際に2年目も47勝85敗4分でシーズン最下位に終わったが、交流戦は17勝19敗。あの当時の戦力でも、交流戦の方が楽だった。セ・リーグ相手なら、巨人にも勝てそうな感じがあった。

 対戦していてもセの打者には怖さがなかった。ヒットを打たれてもせいぜい単打。本塁打を打たれそうな脅威を感じる打者は本当に少なかった。外国人を含めても各チーム数人くらいだ。

 09年は球団創設5年目で2位に躍進し、クライマックスシリーズ(CS)に初出場。第1ステージはソフトバンクに2連勝で突破した。第2ステージで対戦した日本ハムは、エースのダルビッシュ有が故障で登板できず、戦力の面では楽天の方が有利だった。