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激やせを「減量」と母親に病隠し…古賀稔彦さん、53歳壮絶がん死 モルヒネ投与も最後は力尽き (1/2ページ)

 「平成の三四郎」と称され、1992年バルセロナ五輪柔道男子71キロ級金メダリストだった古賀稔彦さんの訃報は日本列島に大きなショックを与えた。53歳での早すぎる死。高々と担ぎ上げる芸術的な一本背負いで日本柔道の歴史を紡ぎ、体調を崩した後も、病気を隠して指導者として仕事を続けるなど、最後まで柔道に尽くした人生だった。

 息を引き取ったのは24日朝、川崎市にある自宅だった。自宅には引退後の2003年に創設した自身の町道場「古賀塾」が併設されており、ここで子供たちに指導するなど、草の根の普及にも力を入れていた。2007年には、岡山・環太平洋大柔道部の総監督にも就任し、年間100回近い講演で全国を飛び回っていた。

 体に異変を感じたのは昨年のことだったという。複数の関係者によると昨年3月、がんのため腎臓を片方摘出した。それでも普段通りに振る舞い、以前と変わらない量の仕事をこなしていた。昨秋の講道館杯全日本体重別選手権(千葉ポートアリーナ)では現場を訪れ、「まあまあ元気」などと笑顔を見せていた。

 見た目にもやせていたが、関係者には「トレーニングで減量している」などと病気を隠していた。母親の愛子さん(79)にすらも黙ったままだったという。

 ところが、今年2月中旬ごろ、腹水がたまるなど再び体調が悪化した。「ちょっと療養するわ」と自宅療養に入ったが、その後も声はかれていたものの、関係者とは連絡を取り、最後まで弱みをみせることはなかった。

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