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【福島良一 メジャーの旅】大谷が塗り替える「1番・投手」の歴史 日本ハム時代に見せた格の違い、大リーグで再現なるか (1/2ページ)

 オープン戦に「1番・投手」で出場したエンゼルス大谷翔平投手。大リーグの長い歴史を見ても1番投手で起用され、他の守備位置に就かなかったのは1人だけ。それも120年前という遥か遠い昔の出来事だった。

 1897年、ルイビルに入団したジム・ジョーンズ投手は、デビュー戦で3回途中から登板し最後まで投げたが、なんと22失点。チームも1試合36失点と不名誉な記録を樹立。投手失格の烙印を押され、マイナーで外野転向を余儀なくされた。

 それでも1901年ジャイアンツで再昇格。シーズン最終週のダブルヘッダー第2試合に「1番・投手」で出場した。結局投げては5回6失点、打っても4打数ノーヒットに終わり、5回日没コールド負け。それが最後のマウンド姿となった。

 その後、53年ジ軍のアルビン・ダーク遊撃手が最終戦に「1番・投手」で志願出場。2イニングを投げる予定だったが、初回2失点で降板し三塁の守備に回った。現役引退後は監督となり、日本人初の大リーガー、村上雅則投手が入団時の64年に指揮を執った。68年にはツインズのシーザー・トーバー外野手が本拠地最終戦に「1番・投手」で出場。初回無失点のあと各守備位置に就き、史上2人目の1試合9ポジションを記録した。いずれも生涯唯一の登板で、優勝争いとは無関係の余興に過ぎなかった。

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