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【田所龍一 虎番疾風録 Vol.90】「ジェシー」の愛称で愛された高見山、帰化の会見で「カンポーって何のこと?」 (2/2ページ)

 筆者と高見山とは少し「縁」があった。昭和54(1979)年の入社1年目のこと。「朝汐番」を命じられ3月の大阪場所前に約1カ月間、高砂部屋に通った。初めて宿舎を訪ねた玄関で「こんにちは! 誰かいませんかぁ!」と大声を出すと「誰もいないよぉ」と奥から顔を出したのが高見山だった。

 朝汐が高見山に「こいつ、サンスポの新弟子」と紹介したおかげでジェシーは筆者のことを「シンデシ」と呼んでもてあそんだ。その高見山の帰化申請が昭和55(1980)年6月3日、許可され「官報」の法務省告示に記載された。日本名は加寿江夫人の旧姓「渡辺」をとり『渡辺大五郎』。午後3時から東京都台東区柳橋の高砂部屋で会見した高見山は、いまの気持ちを尋ねられ-。

 「まだ、ピンとこないね。カンポー(官報)って何のことだか分からなかった。クスリをもらえるのかな-って思っていたよ」と笑った。

 ■田所龍一(たどころ・りゅういち) 1956年生まれ。大阪芸大卒。サンケイスポーツに入社し、虎番として85年の阪神日本一などを取材。産経新聞(大阪)運動部長、京都総局長、中部総局長などを経て運動部編集委員。「虎番疾風録」のほか、阪急ブレーブスの創立からつづる「勇者の物語」も産経新聞(大阪発行版)に執筆中。

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