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【田所龍一 虎番疾風録 Vol.93】大平首相へ勝利ささげられず…突然の訃報は猛虎たちにも大きな影を落とした (1/2ページ)

 大平正芳首相の突然の死去は、猛虎たちにも大きな影を落とした。

 明治43(1910)年3月、香川県三豊郡豊浜町の中農の三男として生まれた大平は高松高商を卒業した。阪神の小津正次郎球団社長の母校の大先輩である。そして中西太監督とは同郷。生前に残した有名な“大平語録”の中にこんな言葉がある。

 『中西の顔と私の顔が香川県の代表であります。ツラはまずいが悪人はおりません』。中西監督はずっとこの言葉を誇りに思っていた。訃報が届いた6月12日、福井で行われた中日戦の試合前、ファンも両軍の選手たちも、1分間の黙祷(もくとう)をささげた。なんとしても勝たねば…。

 最下位の中日にまさかの3連敗。貯金はゼロとなり5位に転落した。5月27日時点で阪神は18勝13敗2分け。首位広島に2・5ゲーム差の2位にいた。〈やっと笑える日がきた〉と筆者も思った。ところが、大平首相が「息苦しい…」と緊急入院した5月30日、阪神にもアクシデントが起こった。横浜での大洋戦の試合前の練習中、打撃練習をしていた佐野仙好の打球が三塁で守備練習をしていた掛布雅之の左ひざを直撃したのである。

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