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【江尻良文の快説・怪説】阪神・佐藤輝は三冠王に挑戦を 「昭和の日」に思いをはせ、令和時代のプロ野球界へ再現を期待したいこと

 「昭和の日」だった4月29日。令和時代のプロ野球界に再現を期待したいことがある。三冠王の出現だ。平成時代はダイエー・松中信彦1人の寂しさ。ゴールデンルーキーの阪神・佐藤輝明(近大)などには令和第一号の三冠王に挑戦して欲しい。

 昭和の時代には「三冠男」という別称で呼ばれたほどのオレ流ロッテ・落合博満がいた。昭和57年が最初で、次いで昭和60年、61年と2年連続三冠王。通算3度も獲得している。

 メジャーリーグの通算本塁打記録を超える通算868本を打った巨人・王貞治でさえ、三冠獲得は昭和47年、48年の2度だけ。落合が「オレ流」から「三冠男」にランクアップされたのは当然だろう。

 日本プロ野球界の三冠王第一号は、昭和13年秋の巨人・中嶋治康。打率・361、10本塁打、38打点。中嶋氏はミスタージャイアンツ・長嶋茂雄に先駆けて巨人軍栄光の背番号「3」を背負った。

 “班長”と呼ばれ、リーダーシップがあった。昭和55年に、巨人・長嶋茂雄監督が電撃解任された際、巨人OB会は、長嶋解任を仕掛けた川上元監督派と長嶋擁護派に真っ二つに割れた。「この混乱を収拾するには、派閥と無縁な班長に巨人OB会会長をやってもらうしかない」という巨人OBたちの懇願で、中嶋OB会長が誕生。巨人OB会の分裂は回避されている。

 長嶋茂雄を永遠のライバル視してプロ野球人生を送った南海・野村克也も、昭和40年に三冠王を獲得している。「長嶋が獲得できなかった三冠王を、ワシは獲得した」というのが、ボヤキのノムさんの生涯の自慢の種だった。

 昭和の晩年は阪急・ブーマー、阪神・バースと外国人選手の三冠王が生まれた。平成時代は松中1人だったこともあり、令和第一号が早く誕生することを待望するのだ。

 もちろんその道は険しいが、「三冠王など夢のような話だ」と最初からあきらめているような選手は、そもそもプロ野球界で成功するわけがない。「オレは毎年、50本塁打打つことを目標にしてやってきた。30本しか打てなかったから、引退した」。世界の王の引き際の弁だ。

(江尻良文)

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