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松山英樹が「黄昏時」のオーガスタで勝った意味 ローアマ10年、グリーンジャケット夢に「才能は有限。努力は無限」を有言実行 (2/4ページ)

 過去、日本人選手が、何人もマスターズに挑戦したあと、たいがい打球練習に余念がなかった。中でも、コントロールされたドローボール。球筋に固執することが多い。ショートゲームも然りだった。なんとか技術力を増やしたいと焦る。ところが松山は、クラブを握らなかった。

 「見てくださいよ」と自分の太ももを見せた。ズボンがパツンパツンになっていた。「いままでのズボンのサイズだと履けないんです」と彼は、肉体を鍛えることから始めたのである。

 よくゴルフでは、体技心と言う。まずは肉体を鍛えるということを松山が選んだ。そのとき本気で世界を、マスターズを目指していると感じた。

 それから10年。彼は「それが早かったのか、遅かったのかわかりませんけど…」と表現した。それほど必死にハードル越えだけを考えて努力したのだろう。

 マスターズが日本で注目されたのは、やはり1973年大会で尾崎将司が8位タイになったことだった。実は、それ以前にも、陳清波が15位(1963年)、河野高明が12位(1970年)と活躍していたのだが、ベスト10には届かなかった。生中継が1976年から始まって、マスターズは世界の4大メジャーの中でも格別な関心度を高めた。

 その後も、中嶋常幸が8位(1986年)。さらに伊澤利光が2001年に、片山晋呉が2009年に4位となっている。

 これまで33人の日本人選手が、マスターズに挑戦したが、グリーンジャケットは高嶺の花だった。どうしても越えられない壁があった。

 「届きそうで届かない。ものすごく遠い先にある。それがマスターズに勝てないことなんだ」と尾崎が言ったことがある。松山は、その見果てぬ夢を現実のものとした。

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