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【実況・小野塚康之 時代を超える名調子】縦断高校野球列島(16)新潟 県勢58年ぶりベスト8の新潟南  銀傘にこだま「3番ライト小野塚くん」 投げて打って守って林、京都西と明徳義塾を撃破 (1/4ページ)

 1984年の夏66回大会は、私、小野塚康之個人としては長年高校野球に関わってきた中でも一番感動した年だった。それは新潟県勢58年ぶりのベスト8を果たした県立新潟南の戦いだった!

 尾てい骨がムズムズ!

 同姓の選手が甲子園の舞台に立った。5万3000人の大観衆が“マンモス”を埋め尽くし、場内放送の『3番ライト小野塚くん』のアナウンスが響き渡る。背筋が伸び、尾てい骨がムズムズした。うれしかった「もしも甲子園にたどり着いたならこんな風に紹介されるんだ」。

 曲がりなりにも高校時代野球に取り組み、ここを夢見た私にとって感激の瞬間だった。全国的には少数派の名字なので、同姓の選手が活躍することなどそれまでになく初めての体験だった。

 この年はPL学園の清原和博と桑田真澄のK&K、のちの大魔神・東北の佐々木主浩などビッグネームがめじろ押しだったが新潟南の小野塚慶一は一生忘れない存在となった。そして小野塚に、新潟南に熱視線を送った。参考までに記すと、私の姓は新潟由来だ。父方の系譜をたどると湯沢(越後湯沢)の出身で古くは旅館を営んでいた。

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