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【ロバート・ホワイティング サクラと星条旗】日本の野球はメジャーに並んだ パワー不足を覆す大谷の打撃力 イチロー、松井に納得しなかった野球評論家らも沈黙 (2/4ページ)

 そんな日本に前進が見られたのが64年。若手投手だった村上雅則が南海ホークスから野球留学でサンフランシスコ・ジャイアンツ傘下のマイナーリーグに派遣され、その後メジャーへ昇格し、リリーフ投手として活躍したのだ。日本人初のメジャーリーガーが誕生したのである。

 翌年、読売ジャイアンツは来日したナ・リーグ勝者のロサンゼルス・ドジャースと対戦し、7試合中4戦で勝利する。王貞治、長嶋茂雄の両選手を擁し、9年連続日本一を目指す史上最強の日本プロ野球チームを率いる川上哲治監督は、こう話した。

 「これ以上、我々が米国から学ぶものはない」

 日本のスポーツメディアの間では早くも「真のワールドシリーズ」を求める声が高まった。

 しかしその後の日米野球では、ボブ・ギブソン、ルー・ブロックを擁したセントルイス・カージナルス、ブルックス・ロビンソン、フランク・ロビンソンを擁したボルチモア・オリオールズがそれぞれ13勝5敗、12勝2敗4分で圧勝し、この話は立ち消えになる。

 77年には王貞治がハンク・アーロンの通算本塁打記録を塗り替え、有名な米スポーツ月刊誌の表紙を飾ったが、狭い球場と低いレベルでの記録だと揶揄する声が上がった。

 日米野球での日本の成績は上がり続け、90年、最盛期のランディ・ジョンソンを含むMLB選抜チームを相手に、全日本選抜チームは7試合で4勝をあげた。アメリカ国民は毎晩酒の飲みすぎで二日酔いの頭を抱えながら、メジャーリーガーに痛烈な批判を浴びせた。

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