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【ロバート・ホワイティング サクラと星条旗】猛暑、感染再拡大、ほぼ無観客…開催は無責任で強欲だけど、東京五輪は史上最悪ではない (2/3ページ)

 1980年のモスクワ五輪では、開催6カ月前にソビエト連邦がアフガニスタンを侵略した。ジミー・カーター米大統領はボイコットを発表し、他の64カ国を説得した。飛行機での旅行が一般的になるずっと前にオーストラリアで開催されたメルボルン五輪以来、参加チーム数は最も少なかった。

 東ドイツでは、選手の意思にかかわらずステロイドやアンフェタミン、成長ホルモンを投与する国家ぐるみのドーピング問題が後に明らかになった。

 当時多くの人が疑っていたように、モスクワ五輪で授与されたメダルの大多数はドーピングによるものだった。

 36年のベルリン五輪は、スポーツ史において最も視覚的に壮観で印象的なもののひとつだった。ナチスがオリンピックにもたらした多くの繁栄は、後のオリンピックでは通常となっていった。行進する親衛隊やはためくかぎ十字は、ナチスのプロパガンダだった。

 ヒトラー総統は黒人選手を起用する米国を嘲笑したが、黒人選手たちは世界最高であることを証明した。ジェシー・オーエンスは、陸上の100メートル、200メートル、リレー、走り幅跳びで金メダルを獲得した。

 何よりも最悪だったのは72年のミュンヘン五輪。11人のイスラエル人コーチと選手が、柵を乗り越えて宿舎に侵入してきたテロリストの人質となり殺された。パレスチナ過激派組織“黒い九月”の犯行で、選手は拷問を受けた。犠牲者の一人、重量挙げのヨセフ・ロマーノは応戦した後に撃たれ、他の人の前で去勢された。

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