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【巨人の事件簿】江川「空白の一日」の真実 「ありえない」の裏に前年の因縁 (1/2ページ)

 忘れもしない。1978年11月21日昼前のことだ。

 報知新聞社のデスクから電話がはいった。

 「すぐに社に来てくれ。江川卓が巨人と契約した。色々問題になりそうだ」

 「江川が契約? ドラフトは明日でしょう」

 何がなんだかさっぱりわからなかった。それほど突拍子もない話。ドラフト会議での指名を待たずに契約することなどあり得ないことだったからである。

 その裏に“悲劇”もあったと言ったら理解してもらえるだろうか。因縁はその前年のドラフト会議にさかのぼる。

 作新学院高時代から「怪物」の名をほしいままにした剛腕投手・江川卓(法大)は、憧れの球団、巨人の指名を待ちわびていた。巨人は指名順位の決定抽選で2番クジとなり、1番クジは九州のクラウンライター(現埼玉西武)となった。

 ドラフト前日、クラウンの中村長芳オーナーからは、当時江川の後見人だった栃木が地盤の船田中・元衆議院議長(故人)を通じて「ウチは江川君を指名しません。九州・西南学院大の門田富昭君で行きます」との情報も届いていた。

 これで巨人に入れる。江川はじめ巨人関係者や周囲は喜んだ。ところが-。フタを開けてみると指名しないはずのクラウンが江川を指名して来たのだ。ここで江川がすんなり2番クジで巨人に入れていたら、全く違う野球人生が開けていたろう。

 皮肉な運命にホゾを噛みながらも江川はクラウンを拒否して1年間の米国留学を決意。翌年のドラフトに賭けたのだ。

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