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【小田幸平 ODAの第2捕手目線】中日・木下雄介さんを悼む 独立リーグから成功した経験を広く伝えてほしかった (1/2ページ)

 たくさんの感動と興奮を与えてくれた東京五輪の最中の今月6日、悲しいという言葉では言い表せられない知らせが飛び込んできました。練習中に倒れて救急搬送されていた中日の木下雄介さん(享年27)が3日に亡くなっていたというのです。

 150キロを優に超える直球とフォークで三振を量産するパワーピッチングは可能性と魅力に満ちていました。2016年の育成ドラフト1位で中日に入団した木下さんの背番号は当初、「201」。18年にオープン戦での好投が評価されて支配下登録を勝ち取ると2ケタの「98」に。昨季は18試合に登板して初セーブもマークしています。

 今年4月に右肩と右肘の手術を行い、回復は順調だと聞いていたのですが、その矢先の悲劇。ケガが癒えればチームの勝ちパターンの一翼を担えるだけの可能性を秘めていただけに、木下さんの活躍が見られないのは、あまりに惜しまれます。

 右肩の故障で駒大1年時に中退した木下さんですが、2年のブランクを経て15年に独立リーグ・徳島に練習生で入団。この時、才能を見いだしたのが当時、徳島の監督だった中島輝士さん(現・京都先端科学大監督)です。

 16年のドラフトで木下さんをプロの世界に送り出した中島さんは「本当に真面目で優しい子だった。小さいお子さんが2人いて、これからというときだったのに…」と言葉にならない様子でした。

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