続「江川・空白の一日」 コミッショナーの“強い要望”で…

2010.11.01

 昨年11月10日の紙面に、「江川・空白の一日」について書いたが、今回はその続きを…。

 1978年11月21日(空白の一日)、平河町の船田(自民党副総裁)事務所で江川卓は巨人との入団契約に署名した。巨人はただちにセ・リーグに提出し入団を発表した。これを報じた読売の夕刊が面白い。

 早版では「いくら野球協約に触れないとはいえ、この契約がすんなり承認されるかどうか。午後の実行委員会で大もめになりそう」と、“良識”のあるところをみせていたが、最終版では、この部分がばっさり削られている。事態は良識の通り進み、夕刻、鈴木セ・リーグ会長が巨人の契約申請を却下した。

 巨人の対応は「強行突破」一本やり。翌日のドラフト会議をボイコット(この会議で阪神が江川を指名した)。続けてコミッショナーに「江川との契約の正当性」を提訴。さらには「全球団が出席しないドラフト会議は無効である」とまで主張した。もう無茶苦茶。全面戦争である。

 2、3日して鈴木会長に会ったら「巨人側とまったく連絡が取れないんだ。なんとかならんかね」と相談された。そこで考えついたのがゴルフ。鈴木会長、長谷川巨人代表と親しい読売の元運動部長に2人をゴルフに誘ってもらうことだ。会長は「それができれば…」と頷いたので、代表と元部長には私が直接話をし了承を得たのだが、結局、実現しなかった。

 もう一つ提案したのが、交渉権の譲渡を禁ずる「野球協約第一三七条」の改正だ。当時、ドラフト制度は人権侵害という意見がかなりあり国会で取り上げられていた。交渉権の譲渡を認めれば、選手は好きなチームへ進める。人権侵害という非難を緩和できる。

 鈴木会長は「巨人と江川に対する反発が強いからなあ」と首をかしげていたが、協約改正は江川のためだけではない。この年、たまたま広島に1位指名された木田勇投手が「父親が病身のため東京を離れられない」と入団を拒否していた(木田は翌年日本ハム入り)。譲渡が認められれば、広島も木田が希望していた大洋の有力選手と交換でき、木田に逃げられるよりよほどプラスだったはずである。

 「空白の一日」からちょうど1カ月が経った12月21日、金子鋭コミッショナーは、「巨人と江川との契約は無効」との裁定を下した。その理由は「巨人側の主張は、いずれも妥当性を欠く一方的かつ歪曲した解釈に立脚する誤ったもの」と手厳しいものだった。巨人側の全面敗北である。

 ところが、ところがである。驚いたことに金子は、翌22日の実行委員会で「阪神は江川と契約した後、キャンプ開始までに巨人へトレードせよ」というコミッショナー指令を出し、実質的に巨人の横車を通してしまった。世論の猛反発を受けて金子はコミッショナー指令を「強い要望」に後退させたが、実態は何ら変わらなかった。そして金子は何も語らずコミッショナーを辞任した。

 年が明けて1月31日、阪神は江川と契約。背番号3と書かれた登録申請がリーグに認められた。そして契約発表の際、記者団に対する「そう興奮しないで…」という江川語録第1号が生まれた。

 このとき、記者側から「阪神と契約して何を目標としますか」と聞かれたら、エガワ君、さぞ困ったろう。「巨人へトレードしてもらうため…」が本当のところだが、トレードを前提とする契約は協約違反になる。もっとも肝心な質問が出なかったのは不思議だ。

 ■吉田 和夫(よしだ・かずお) 1928年、北海道・函館生まれ。49年に東京外語大を卒業し読売新聞社入社。運動部勤務。野球、スケート競技を担当。同僚の有馬、小野、本阿彌記者と“YAHO”の名で「炉辺日記」を担当。ストーブリーグ裏話取材に先鞭をつける。横綱栃錦引退特報で局長賞。「書く立場、書かれる立場」(共著)で本部長賞。85年に定年退職。

 

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