巨人“強制収容所”の哀歌 心に響く「多摩川ブルース」 

2010.12.13

 「人里離れた多摩川に野球地獄が…」

 かつて、はやり歌にもなった巨人軍多摩川グラウンド。長嶋、王の「ON」砲を誕生させ、赤い手袋・柴田勲、悪太郎・堀内恒夫ら、彼らが残した永久不滅の「V9」源泉の地である。

 それは東京・大田区の多摩川左岸の河川敷にあった。大雨や台風がくると水没してしまい、練習もできない。フェンスもなく、腰の高さほどの金網が代役みたいなもので、右中間からライト方向の金網を越せば、打球は多摩川の流れの中にジャボン!

 水際にはいつも、球団スタッフや運動用具店の社員がグラブ片手に借り出されて球拾い。そんな風景が25年ほど前まで見られた。だが、ここで泥まみれ、汗まみれの猛練習で鍛え上げられた選手たちは、何度も日本一の座に就き、川上哲治監督の下で9連覇も成し遂げた。

 何でそんなに強かったのか。それはもう一つの多摩川伝説に関わってくる。当時、多摩川に架かる丸子橋のたもとにオンボロの巨人軍合宿所があった。2階建ての古色蒼然(そうぜん)の木造モルタル造りの建物。戸はガタピシ、すきま風が吹き込み、冬場は北風がヒューヒュー。選手らは布団を何枚掛けても寒くて寝られない。

 合宿所は別名「強制収容所」と呼ばれた。入団した選手は大学出だろうと、社会人出だろうと、新入りは皆、最低6カ月そこに入れられる。おまけに規則は軍隊並みだ。

 先輩記者から教えられたことだが、入所式は“チン検”なるものがあって、素っ裸になった選手一人ひとりの“ムスコ”の検査をする。鬼の寮長が「淋病(りんびょう)」が有るや否をみたり、モノの大小、太細で性格判断までして練習法を指示すると言うのだから、にわかに信じ難い話である。

 朝晩の点呼も休まず行われ、これに遅れれば寮長の持つ竹刀がうなる。とくに夜の点呼は厳しい。門限は10時と決められ、少しでも遅れようものなら「このばか者が!」と鉄拳制裁が待ち構えている。

 古い番記者ならおなじみの話だろうが、合宿住人「3悪人」とレッテルを貼られたのが王、柴田、堀内の3人だ。王と堀内の門限破りは、つとに有名だが、この類のエピソードは紹介し切れないほどで多く、省かせてもらう。

 そんな中、合宿生活を告発する歌がはやった。曲名は「多摩川ブルース」だ。練馬の少年鑑別所で作られた「練り鑑ブルース」の替え歌で、巨人軍選手の心に響く哀歌として大ウケした。

 「人里離れた多摩川に 野球の地獄があろうとは 夢にも知らないシャバの人 知らなきゃ俺らが教えましょう」

 作詞者はなんと住人・柴田勲で、入寮数カ月目に作ったという傑作だ。劣悪な設備と環境。古株選手の新人イビリ、“牢名主”的ベテラン選手のにらみ。「強制収容所」にふさわしい雰囲気があった。

 「まあ、今の選手では考えられない所ですよ。新幹線が走り、ジャンボ機が飛ぶ時代に竹刀で“教育”なんですから。でもV9もやったし、ハングリーさが生まれたのもここ。いい思い出の場所ですね」(柴田勲氏)

 現在は、川崎市のよみうりランド内に近代的な4階建ての合宿所、天然芝の広々したグラウンド…。古いOBたちの溜息が聞こえてきそうで…。

 ■磯崎 忠夫(いぞざき・ただお) 1941年、東京・高円寺生まれ。国学院大卒。内外タイムスに入社し、警視庁記者クラブ・社会部記者として事件ものを取材。運動部に移り、主に巨人などセ・リーグ球団を担当する。報道部長、運動部長を経て退職。91年、編集プロダクションを立ち上げ、月刊「自然と健康」「関西じつわ」などを編集・発行。著書に「売る球団、買う企業」がある。

 

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