【球談徒然】ミスターが叫んだ“落合効果”

2011.01.24


野球殿堂入りした落合氏【拡大】

 平成6年(1994年)、長嶋巨人の17年ぶりの優勝を語るには、やはり落合抜きにはできない。周囲には「なぜ、大金をかけて峠を越えた選手を取るんだ」という声があったが、ミスターはいっさい耳を貸さず、己の信念を貫き通した。

 4番に落合を据えた巨人は、この年の7月5日、2位に8・5ゲームの差をつけて首位を独走していた。が、この日巨人は甲子園球場で阪神のルーキー・藪を打てず苦戦していた。9回2死となって2対5と敗色濃厚。しかし、ここで奇跡が起きた。

 コトーが渋い内野安打で出塁。元木も四球を選んで2死一、二塁。打者は村田真一。思い切りの良さが売りの男は、カウント1−3からの5球目を目の覚めるようなアーチで左翼席に打ち込み、同点。結果は延長10回、巨人が決勝点を挙げ、まさに土俵際のうっちゃりで6対5と勝利をものにした。

 翌日のこと。「何故こんなに強くなったんですかね?」と、私がつまらない質問をすると、ミスターは間髪入れずに「それは落合ですよ」と、切り返すように答えてきた。

 「チームというのは恐ろしいものだ。落合1人入っただけで、何人もの選手が増えたような錯覚をおこす。マスコミは“落合効果”という言葉を使いたがらないけど、俺はここにきて“落合効果”を改めて実感している。とにかく組織は生き物だ」。ミスターが“落合効果”を声高に叫んだのはこのときが初めてだった。

 「考えてくださいよ。ウチがこうして首位にいられるのも、落合を獲ったというシーズンオフの戦略、つまりチーム造りが成功したからなんだ。試合での戦術なんて、どこの監督も似たりよったり、鼻くそみたいなもんだ。問題はチーム造りという戦略が勝負なんだ」。ミスターはひときわトーンを上げた。

 「落合を獲るにあたってはいろいろ言われた。しかし俺はね、いつかタイミングを見てこの件に言及しようと思っている。彼自身の名誉のためにもね。今になって皆さんも少しはわかってくれたでしょうが…。まあ、そんなことはどうでもいい。取り敢えずの目標は60勝なんだ」と言葉を結んだ。平成6年7月5日、この時点で巨人は44勝24敗だった。

 その年のペナントレース終盤、巨人は高木守道監督率いる中日に激しく追い上げられ、10月8日、ナゴヤ球場で全く同率の両チームがリーグ優勝をかけて最後の試合を戦うことになった。いわゆる「球史に残る世紀の一戦」である。

 「名古屋でもし負けて、長嶋さんが監督を辞めるようなことになったら、俺も引退するからな」と言って家を出た落合が、2回表、今中慎二の速球を右中間深く運び、2点を先制。この一打が巨人ナインの士気を奮い立たせた。

 試合が終わって名古屋の夜空にミスターの体が5度、高々と舞った。そのグラウンドで落合博満が泣いていた。

 試合後の記者会見でミスターは「落合によってウチの主戦力である投手陣が支えられた。落合効果が大きくものを言った優勝だった」と、胸を張った。

 その落合がこのほど、晴れて野球殿堂入りした。ともに戦ったミスターも、さぞかし感慨深いものがあるだろう。

 ■深沢 弘(ふかさわ・ひろし) 1936(昭和11)年1月2日、神奈川県川崎市生まれ。高輪高から早大に進み、大学ではボクシング部で活躍。卒業後、東北放送に入社するが、6年後にはラジオのニッポン放送に移籍。以後、ショウアップナイターを中心に野球中継の実況アナウンサーとして確固たる地位を築く。現在は新潟県民エフエム放送東京支社長。「わが友長嶋茂雄」(徳間書店)など著書多数。

 

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