夢は最高の選手を育てること!野球と共に生きる

★元中日、広島、ヤクルト、整体師(名古屋市守山区)上原晃さん(42)

2011.07.27


上原晃さん【拡大】

 沖縄水産高時代から躍動的な上手投げで甲子園を沸かせ“沖縄の星”と呼ばれた。中日ではルーキー年から1軍で活躍し、リーグ優勝に貢献。現在は名古屋市守山区の守山自衛隊駅前で整体師をしている。誰にでも優しい笑顔で対応する姿が印象的だ。(聞き手・米沢秀明)

 【つい遅くなって】

 自分は職人かたぎで、何か一つのことを極めたいと思うタイプ。営業などの仕事よりも手に職がある方が向いています。現役時代から整体の先生にはお世話になってきましたので、引退後の挨拶をしたりしているうちに、この仕事が自分には合っているのではないかと思いました。

 引退後、間もなく施術法を学びはじめ、11年ほどになります。3年前に現在の守山区の整体院がオープンとなり週3回(火木土)仕事をしています。豊田市の整体院にも週2回(月金)出ています。

 腰痛、肩こり、手足のしびれなどのお客さんが多く、ゆがんでいる骨を1回10分ちょっとかけて改善していきます。やはり一番大事なのはお客さんとの信頼関係ですね。

 午前中はお年寄りが多く、午後からは一般のお客さんや主婦の方もいます。遅い時間になると野球部の練習を終えた中学生なども寄っていきます。だいたい1日30人ぐらいが訪れます。

 最終受付は午後8時ですが、今は野球のシーズンで試合前にどうしても見てほしいという学生も多い時期。自分も経験があるのでわかりますが、故障を我慢して練習をしている子も多い。大けがになる前に対処することが大事ですから、つい遅い時間まで仕事をしてしまうこともあります。

 うれしいのは、「よくなってきた」と笑顔で言ってもらえるとき。「おお、そうか」という感じです。厳しいのは長期休暇が取れないこと。定期的にケアしないといけないお客さんが多いですからね。

 【踏ん切りがついたのは最近】

 1年目から1軍の戦力として使ってもらったのがプロでの一番の思い出ですが、しばらくして右手の血行障害に悩まされるようになりました。最後はヤクルトで、まだ29歳でしたから、本当は野球を続けたい気持ちが強かったのですが、上の子は3歳、下の子が生まれたばかり。今後のことも考えると、この辺が潮時かと身を引く決意をしたのです。

 まず、悩んだのは次の人生の拠点をどこに構えるかということ。自分は沖縄の出身ですから、帰郷することも考えましたが、かみさんは神奈川の出身です。東京は戸建てを買うにしても値段が高いし、子供の教育のこともあります。中日時代に地縁のある場所に居を構えるのが一番いいのではないかという結論になりました。

 野球には未練がありましたから、しばらくは野球を見ないようにしていました。ひじや肩などの大きな故障ではなく、右手先以外は健康なわけですから。手術も2回やりましたが、症状はあまり改善しませんでした。引退直後は野球をみるとイライラすることも。中途半端で不完全燃焼でしたから。

 正直言って、踏ん切りがついたのはようやく最近。40代になって、近くのシニアリーグチームの指導をするようになってからです。30代は体が動くので気持ちの整理ができづらいのです。

 今思えば、現役時代にもう少し技術や体調を自己分析する力があれば、もっと長く成績を残せたのではないかと感じます。1年目から投げさせてもらいましたが、勢いでやっていました。本当の実力ではなかったと思います。

 今は子供たちに施術中も野球の話をしたりすることもあります。夢はここから最高の選手を育てることですね。やっぱり一生野球からは離れられないですよ。

 55歳になったら、子供も大きくなって手を離れるでしょうから、沖縄へ帰って恩返しもしたいですね。子供たちに野球を教えたいです。

 ■うえはら・あきら 1969年5月16日生まれ。沖縄県宜野湾市出身。沖縄水産高時代に速球派の右腕投手として春夏4度甲子園に出場。87年のドラフト会議で中日にドラフト3位で入団。1年目の後半から1軍に抜擢され、先発、リリーフでリーグ優勝に貢献した。右手の血行障害に悩み、97年広島、98年ヤクルトへ移籍し、同年引退した。現役通算138試合、19勝21敗1セーブ。

 

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