森監督から嫌われ飼い殺しに…引退後に気付いた力のなさ

2011.08.04


当時のボクは森監督をどれだけ恨んだことか【拡大】

 ボクがプロ入りした1985年当時の指揮官は、広岡達朗監督。その猛烈な練習量と玄米食に象徴される管理野球については、先月のこのコーナーで言わせてもらいました。広岡監督が退任したプロ2年目から、ボクには、また違った意味で試練が訪れます。後任の森祇晶監督との出会いです。

 「オマエも大変だな。取ってくれた人は大事にしてくれるけど、その人がいなくなったんじゃ、そうはいかないぞ」。プロ2年目、周囲から言われた言葉です。ボクをドラフト1位で獲得してくれた広岡監督が辞めて、森監督へと代わったことで、ボクの立場は大きく変わりました。

 森監督といえば、巨人のV9戦士であり、西武の監督時代、在任9年間でチームを8度のリーグ優勝、6度の日本一に導き、黄金時代を築いた文字通りの名将です。しかし、広岡野球を継承し、守り重視、徹底した細かい野球をするスタイルに、ボクは合わなかったのでしょう。しかも森監督就任1年目のドラフト1位入団は、甲子園のスターでマスコミ大注目の清原和博内野手。当然、森監督の中では、清原と同じ右打者のボクの存在は薄いものになったはずです。

 シーズン初めのある日、森監督のボクへの評価を実感する出来事がありました。練習で1列に並んでウォームアップしていたときのこと。石毛宏典内野手、工藤公康投手、渡辺久信投手、そしてボク、伊東勤捕手。ボクの並びには、そうそうたる顔ぶれです。そこに森監督が現れ、一人ずつ笑顔で声をかけていました。

 「おおハチ(石毛さん)、調子どうや」、「キミヤス(工藤さん)、頼むで」、「ナベ(渡辺さん)、体調どうや」。そして、ボクの順番。どんな言葉をかけてくれるのかと思ったら…。「ツトム(伊東さん)、頼むで」。

 ボクを完全に無視して、伊東さんへ。ボクは愕然としました。このチームでは、レギュラーにならなければ、監督から声もかけてもらえないのか…。

 遠征先の宿舎では、こんなことも。夕食の時間となり、ボクは1膳目のご飯を食べていました。すると、グラウンドでは口をきいてもくれない森監督が寄ってきて、こう言うのです。「何や、また食っとんか」。

 いくらボクがウエートオーバー気味でも、まだ1膳目ですよ。さすがに頭に来て、ご飯をかき込み、食堂中に聞こえるような大きな声で「おかわり、お願いします!」。そのあと、外で食事する約束があったにもかかわらず、監督の嫌みに反抗するように意地になって食べた覚えがあります。

 こんな具合ですから、2軍で結果を出して1軍へ昇格しても、試合でボクに出番は回ってきません。まるで飼い殺し状態です。そして何試合後に代打で起用されても、1打席で結果を出せなければ2軍へ逆戻り−という繰り返しです。

 ある人からこんな話も聞かされました。優勝したシーズンオフの祝勝会でのこと。当時、西武グループでは絶対的な存在だった堤義明オーナーが森監督に対し、「大久保も優勝旅行に連れていくんだろ」と言ったことで、森監督がボクに対して嫉妬心を抱いた…というもの。事実かどうかは不明ですが、そんな話が出るということは、周囲から見てもはっきり分かるほど、ボクは森監督から嫌われていたのでしょう。

 当時は、どれだけ森監督を恨んだか。コノヤローと思いましたよ。でも、現役をやめてから気づきました。すべて、ボクにレギュラーになれるだけの力がなかっただけのことなのです。力がない上に、反抗的な態度をとる選手なんて、監督は使うわけありません。

 ただ、選手は、監督、コーチが声をかけてやらないと不安で仕方ないのです。レギュラーは実力を認められているのだから、声をかけてもらえなくてもいい。控え選手の気持ちが痛いほど分かるボクは、2008年に西武の1軍打撃コーチに就任したときには、特に試合に出ていない連中に声をかけ、飲みに誘い、悩みを聞いてあげました。森監督を反面教師にさせてもらったのです。

 最近、韓流ドラマを見ていたら、ある老人がいった言葉に感銘を受け、手帳に書き留めました。

 「絹がいくら美しくても人間の言葉ほど美しくない。その一方でヘビがいくら醜くても人間の言葉ほど醜くはない。自分の口から出る言葉が、絹なのかヘビなのか分かってこそ人間なのです」

 このとき、ボクの脳裏には森監督の顔が浮かびました。こんな言葉に感動し、自分の態度や発言について考えることができるようになったのも森監督のおかげなのでは…。森監督はボクを発奮させるために、あんな態度をとったのでは…と思えるくらいです。

 しかし、現役時代の未熟なボクにとって、森監督の言葉は残念ながら「ヘビ」でしかありませんでした。そんなとき、ボクが森西武との決別を誓った事件が起きたのです。

 ■大久保博元(おおくぼ・ひろもと) 1967年2月1日、茨城県大洗町生まれ。水戸商高から豪打の捕手として84年にドラフト1位で西武入り。92年にトレードで巨人へ。「デーブ」の愛称で親しまれ、95年に引退するまで、通算303試合出場、41本塁打。2008年に打撃コーチとして西武に復帰。現在は東京・新宿区の自宅で野球塾「デーブ・ベースボールアカデミー(DBA)」を開校。DBAは生徒募集中、問い合わせは(電)03・5982・7322まで。

 

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