横浜高監督・渡辺元智編(1) 複雑な家庭環境、強豪校断念支えの「野球」も故障で…

★横浜高監督・渡辺元智編(1)

2013.12.08

 春夏通じて26度目の甲子園出場だった今年の夏。渡辺元智は、自身の孫とともに戦った。2年生で「5番・一塁」のレギュラーをつかんだ佳明は、渡辺の次女である元美の息子。高校野球史上でも異例の、祖父が監督、孫が選手という関係に渡辺は「孫といっても1人の選手。特別扱いはない」といいながら、うれしそうだった。

 渡辺が元美に横浜野球部の寮母を任せている関係で、佳明は幼少の頃から寮で遊び、野球部に親しんだ。横浜初の春夏連覇の立役者となった松坂大輔も、小さかった佳明を抱っこし、ボール遊びの相手をしてくれたことがある。

 自然と野球を始め、横浜野球部への入部を訴えた孫に渡辺は「お前の実力ではユニホームは着られない(補欠)」と突き放した。それでも諦めずに一般入試で合格して入部してきた佳明は、努力して甲子園メンバーに入った。今夏の甲子園は3回戦で優勝した前橋育英高(群馬)に敗れたが、渡辺は「ひいき目でかばうわけじゃないが、右ひじを(疲労)骨折していながら、守備でよく頑張った」とほめた。佳明の方は「来年は監督を胴上げしたい」と涙を流しながら誓った。来春のセンバツ大会の出場は絶望的で、夏のラストチャンスに賭ける。

 勝って笑い、負けて泣く…。孫の姿を見つめながら、渡辺は野球に打ち込むことができる青春をうらやましく思っていることだろう。

 渡辺はかつて「私は選手としては挫折していますから…」と伏し目がちに漏らしたことがある。

 渡辺は1944(昭和19)年11月3日、神奈川県足柄上郡松田町に生まれた。そこは母方の祖父の田中家で、中学卒業までは「田中」姓。両親は別の町で暮らし、親の愛情を知らずに育った。その寂しさを紛らわせてくれたのが野球。甲子園大会で夏春連覇を達成するなど、当時は全国屈指の強豪だった法政二高に一度は合格する。だが、田中家では学費が捻出できず、母親の妹の嫁ぎ先である渡辺家の養子に。そこでも学費が出せなくなり、横浜高に転入するしかなかった。

 当時の横浜高野球部は63(同38)年に甲子園初出場して4強入りしたことがあったが、全国的にはまだ無名。激戦区の神奈川では勝てず、渡辺も甲子園出場はかなわなかった。同級生に、のちに監督−部長として名コンビを組む小倉清一郎がいた。

 神奈川大に進んだ渡辺だったが、外野手から二塁手に転向した影響で肩を痛め、野球を断念。野球推薦による入学だったことを気にした渡辺は、大学からも去った。

 人生の支えともいえる「野球」を失った渡辺の青春は、その後、荒れたものになる。 =敬称略

 ■渡辺元智(わたなべ・もとのり) 1944年11月3日生まれ。神奈川県出身。旧名・元(はじめ)。横浜高時代は外野手で、神奈川大に進学したが、右肩の故障で野球を断念。65年に横浜のコーチに就任し68年から監督。教職免許を取得し、社会科教諭も務めた。73年センバツに初出場初優勝。98年には松坂を擁し甲子園春夏連覇、明治神宮大会、国体の4冠を達成した。甲子園での成績は通算51勝(21敗)で、優勝は春3度、夏2度。

 

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