【名将列伝】元関東一高、現日大三高監督・小倉全由編(1)自分のカラー貫く「やさしい勝負師」

★元関東一高現日大三高監督・小倉全由編(1)

2014.02.16

 いつの間にか、小倉全由の監督としての甲子園勝利は歴代11位の32勝になった。現役では高嶋仁(智弁和歌山)、渡辺元智(横浜)、前田三夫(帝京)、馬淵史郎(明徳義塾)、阪口慶三(大垣日大)に次ぐ6位で、この6人の中では一番若い56歳。東京では早実と双璧の伝統と実績を誇る母校の日大三を率いて18年目に入る。関東一の監督時代から通算すると30年目。脂が乗った時期だ。

 全国制覇は日大三で2001(平成13)年夏と2011(同23)年夏の2度。準優勝は関東一で1987(昭和62)年春と日大三で2010(平成22)年春の2度。名将の一人に数えられるようになった。

 「私は、選手と一緒に汗を流し、笑い、泣く。そんな監督です」

 自らをそんな言葉で表現する小倉は、ソフトなイメージを持たれている監督だ。人当たりがよく、報道陣にも丁寧に応対する。選手には時にカミナリを落とすが、総じて、仲良く野球をやっている兄貴のような存在。当然、勝負に賭ける厳しさはあるが、それを前面には出さない。

 小倉の著書『お前ならできる』(日本文芸社刊)の中に、こんな一文がある。

 「監督は、とかく厳しくて怖いイメージを持たれがちですが、監督の中にもやさしい勝負師がいるんじゃないかと思う。やさしくたって勝負をかけている。私は私のカラーでいいと思っている」

 その著書では、こんな話も紹介している。他校の監督の後輩が「勝負師になりきれない。やさしさが出てしまう」と嘆くと、小倉は答える。

 「やさしい監督がいたっていいじゃないか。やさしくても、代打を出すときは自分で決断するわけじゃないか。だからやさしいからダメってことはない。やさしさのない人間に子供たちを育てることはできないよ」

 小倉は1957(昭和32)年、千葉県長生郡一宮町に生まれた。実家は農家で3人兄弟の末っ子。2人の兄の影響で中学から野球を始めた。地元の高校に進むつもりが、兄に「中央の強い学校に行って、レベルの高い野球をやらないとダメだ」と言われ、「雲の上の存在」だった名門・日大三の門を叩いた。

 野球部では副主将を務めたが、背番号13の控え選手。肩を故障したこともあり、日大に進んでも野球部には入っていない。

 「普通の学生としてキャンパスライフを楽しもう、ぐらいの気持ちだった」

 そんな時に日大三の先輩から「暇なら手伝え」という声がかかる。野球を捨てたつもりだったのに、母校野球部の学生コーチに請われると断れなかった。のちに「やさしい勝負師」という境地を開く男の、指導者人生の始まりだった。 =敬称略

 ■小倉全由(おぐら・まさよし) 1957年4月10日、千葉県生まれ。日大三高から日大。関東一高監督を経て97年に日大三高の監督に就任し、2001年夏に歴代最高記録(当時)となるチーム打率・427を記録した強力打線で同校初の夏の全国制覇を達成。11年夏でも強力打線とエース・吉永健太朗の全試合登板の力投で自身2度目の優勝を果たした。単身赴任で選手たちとともに野球部寮に暮らす。社会科教諭。甲子園通算成績は歴代11位の32勝16敗。

 

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