元関東一高、現日大三高監督・小倉全由編(5) 長い歴史がある日大三高その中に残る“悪しき伝統”

★元関東一高現日大三高監督・小倉全由編(5)

2014.03.16


2011年夏に2度目の全国制覇を果たし、胴上げされる小倉監督【拡大】

 1997(平成9)年の冬。小倉全由は17年ぶりに日大三のユニホームを着てグラウンドに立った。22歳のコーチ時代に事実上の解雇通告を受けたわだかまりを捨て、母校野球部に請われて戻ってきた。関東一の監督時代も1度、解雇されている。「またクビになったら田舎(千葉)に帰ればいい」。名門校の指揮を執る重圧など、怖くはなかった。

 そこから、のちに「名将」と呼ばれる道を歩みだした。日大三は1929(昭和4)年創部という長い歴史がある。だが、その中には“悪しき伝統”といえるものも、少なからず残っていた。例えば、上下関係の厳しさは当時、下級生を委縮させて成長を阻んでいる−と小倉は判断する。

 合宿所に戻ってまでも先輩への緊張感が抜けない選手たち。小倉はまず、合宿で上級生と下級生が対等に話ができる環境づくりに着手した。小倉自身も千葉・九十九里町に妻子を残しての単身赴任で、東京・町田市にある合宿に住み込んだ。

 「厳しい野球を、楽しくやらせることが大事なんです。それで選手は成長すると思う」

 グラウンドの練習では、時には怒鳴り声をあげる。合宿でもゴミがひとつでも落ちていれば雷を落とす。だが、その後で必ず、選手を自室に呼ぶ。甘いものを食べさせながら、冗談もまじえて諭していく。廊下やトイレで会えば声をかけ、早朝の自主トレーニングにも付き合う。

 このスタイルは、18年経っても変えない。小倉の自室の冷蔵庫は、いまでも甘い食べものでいっぱいだ。

 自らを「やさしい勝負師」と表現する小倉は、監督と上級生と下級生の一体感を大事にして、ここまで選手を育ててきた。「選手と監督である自分に距離がある、と感じたことはないです」と言い切る。

 日大三の監督就任2年目の1999(同11)年に春夏連続で甲子園に出場した後、2001(同13)年の夏に小倉の野球は開花する。強力打線を率いて自身初、日大三としては1971(昭和46)年春以来の甲子園制覇を飾った。その10年後、2011(平成23)年夏の全国制覇は記憶に新しい。6試合中、4試合で2ケタ得点。2試合に完封勝ちと、投打に圧倒して日本一になった。

 この時、選手たちは「監督を胴上げするために戦った」と口をそろえた。選手との一体感と信頼関係を大事にする小倉野球を象徴する言葉だった。

 小倉はことし4月で57歳になるが、まだまだ気持ちは選手の「兄貴」。一緒に風呂につかり、部屋でプリンを食べさせる。 =敬称略、この項終わり

 ■小倉全由(おぐら・まさよし) 1957年4月10日、千葉県生まれ。日大三高から日大。関東一高監督を経て97年に日大三高の監督に就任し、2001年夏に歴代最高記録(当時)となるチーム打率・427を記録した強力打線で同校初の夏の全国制覇を達成。11年夏でも強力打線とエース・吉永健太朗の全試合登板の力投で自身2度目の優勝を果たした。単身赴任で選手たちとともに野球部寮に暮らす。社会科教諭。甲子園通算成績は歴代11位の32勝16敗。

 

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