【選手・清原和博 裏番行状記】大麻パーティーで強引に… 庇護なくし丸裸で巨人へ “疑惑”はチーム内に拡散

2016.02.17

1995年2月、米ハワイ・マウイキャンプでの清原容疑者
1995年2月、米ハワイ・マウイキャンプでの清原容疑者【拡大】

★西武編

 西武時代から、清原和博容疑者(48)にまつわる“薬物使用”疑惑はチームメートや関係者たちの間でささやかれたが、球団がこれを確信するに至った“事件”があった。

 名実ともに“レオの顔”となった1990年代初頭。所沢の球団事務所に、一般男性が怒り心頭の表情でどなり込んできたのだ。

 この時期の清原容疑者は都内のマンションに住んでいたが、元球団関係者は「時おり知人を集めては大麻パーティーを開いていた」と証言する。さらに「ある日のパーティーに参加していた女性が大麻を強引に吸わされ、もうろうとした状態で帰宅した。様子がおかしいことに気づいた両親が事情を聞いて激怒し、球団へ抗議に出向いた」というのだ。

 「娘になんてことをするんだ」とねじこまれた球団フロントは平身低頭。当時の管理部長だった故・根本陸夫氏らは「とんでもないことをやってくれたな」と頭を抱えていたという。だが、この一件は表沙汰にはならなかった。球団幹部が必死に頭を下げ和解に持ち込むことができたからだった。

 だが、この一件以降、清原容疑者の“大麻疑惑”は球団、チーム内に広まることになった。チームの顔はシーズンオフに単身で米国にわたったことがあり、一部の選手たちの間では「大麻V旅行」という声があがっていたほどだった。

 当時の西武には、球団創設時から反社勢力や女性問題に対する“タスクフォース”が存在し、92年まで在籍した根本氏の指揮で球団関係者が奔走した。また、同氏が持っていたとされる警察関係や裏社会とのパイプを使って“事件”が表面化しないように腐心した。

 コンプライアンスが重視される今の時代ならとんでもないことだが、当時は必要悪だったのだ。だが、もし球団の後始末がなかったら、清原容疑者のプロ野球人生は、西武の時点で暗転していたかもしれない。

 しかし、その後の清原容疑者の“行状”は止まらなかった。そして96年オフ、西武の庇護から外れた“丸裸”の状態で、巨人へ移っていった。 (スポーツライター・梶原昌弥)

 

産経デジタルサービス

産経アプリスタ

アプリやスマホの情報・レビューが満載。オススメアプリやiPhone・Androidの使いこなし術も楽しめます。

産経オンライン英会話

90%以上の受講生が継続。ISO認証取得で安心品質のマンツーマン英会話が毎日受講できて月5980円!《体験2回無料》

サイクリスト

ツール・ド・フランスから自転車通勤、ロードバイク試乗記まで、サイクリングのあらゆる楽しみを届けます。

ソナエ

自分らしく人生を仕上げる終活情報を提供。お墓のご相談には「産経ソナエ終活センター」が親身に対応します。