日本高等学校野球連盟(日本高野連)は全国47都道府県の各高野連を統轄する組織で、1946(昭和21)年に発足。高校野球の総本山として絶対的な権力を持ち、運営を行ってきた。
一方で、高校スポーツのほとんどを統轄する全国高等学校体育連盟(高体連)という組織がある。日本高野連はこの高体連には所属せず、大学野球(全日本大学野球連盟)とともに日本学生野球協会の傘下にある。
高体連に所属しないスポーツは、他にゴルフやアメリカンフットボールなどがある。だが日本高野連と高体連は、過去に“抗争”を繰り広げた関係にある。
それは高体連が当時からNO・1の人気を誇っていた高校野球を完全に傘下に入れようとしたための、いさかいだった。
48(同23)年に東京都の高校野球大会を高体連が独断で開催したのが発端。怒った日本高野連は翌年2月「全国の高校野球の試合や大会は全て日本高野連が主催するものとする」と宣言した。
これを高体連に“無視”されたため、さらに6月「高体連による大会開催は認めない。大会参加資格は日本高野連の加盟校に限る」という旨の通達を全国各地の高体連に送った。これに東京都の高体連が反発。「東京都の高校は甲子園大会の出場を棄権した方がいい」などと主張したため、問題はさらに大きくなった。
結局、こんな東京都高体連の考え方に追従できなかった都内のほとんどの学校は、新しく東京都高野連を結成。無事に夏の予選を開催した。同じ時期、宮城県でも高体連の施策に反発した各校が宮城県高野連を発足させている。
当時から、高校スポーツの中でも野球は突出した存在だった。高体連の主張は「野球は他の競技と比べて行き過ぎ。甲子園大会は選手を英雄視しすぎる」というもの。もしこの時、高体連が主導権を握っていたら、その後の高校野球は大きく変わっていたかもしれない。