【球界風雲児デーブ】おかわり君をキングに育てた渡辺監督の起用術

4.21

 開幕から動向が気になる西武が、6戦を終えて3勝3敗。今季は補強らしい補強がなかった上、期待していたドラフト1位ルーキーの大石達也投手が右肩の違和感で戦線離脱。戦力だけみれば苦戦必至の中、4番に座って打線を牽引しているのが、中村剛也内野手(27)です。

 16日のソフトバンク戦では、2本の3ランを放って勝利の立役者となるなど、すっかりチームの顔。そんな“おかわり”の活躍で思い出すのが、ボクが1軍の打撃コーチを務めていた2008年の出来事です。

 ドスッ。相手先発の金子千尋投手から顔面に死球を受け、中村がその場に倒れ込んだのは、5月11日のオリックス戦(神戸)でした。その瞬間、ベンチの中にいたボクは、直感的に「終わった。野球選手はこうやって終わっていくんだ…」と思いました。

 そのシーズン、プロ入り7年目の中村は、大きなチャンスをつかみかけていました。

 一発はあるものの、打率は2割そこそこ、三塁の守備にも不安がある。監督、コーチから見れば、非常に使いにくい選手でした。それでもボクは、長打力の魅力もあったし、使い続ければコイツは絶対モノになると思って、就任したばかりの渡辺久信監督に推薦し続けました。

 もちろん、すぐに結果は出ません。なかなか成績が上がらず、推薦するボクの言葉もだんだん遠慮気味に…。そんなとき、渡辺監督は必ず、こう言ってくれました。「デーブ、お客さんが一番喜ぶのはホームランだよな。心配するな。アイツは使い続ける」−。

 チャンスをもらった選手が、思わぬ故障やけがで消えていくパターンをボクは何度も目の当たりにしています。実際、ボクも巨人時代の1993年に死球で左腕を骨折し、つかみかけたレギュラーの座を手放しました。中村も、このパターンか…。でも、おかわりは、信じられないくらいたくましかった。

 試合終了後、神戸のホテルへ帰り、病院から戻ってきた中村の部屋に様子を見に行きました。頬骨が折れ、腫れ上がった顔に当てた氷嚢の中の氷は熱で溶けています。医者には、無理すれば後遺症で口が開かなくなると言われたそうです。

 でも、気がつくと、中村の前にあるテーブルの上には、食べかけのチャーハンの皿が…。「おなか、へっちゃって…」。おかわりは、選手生命にかかわる重傷を負っても、ルームサービスでとったチャーハンをパクついていたのです。

 そこでボクは「オマエは今、人生の岐路に立っている。プロの世界では、代わりの選手は、いくらでもいるんだ。ここで休めば、もう出番はなくなるかもしれない」と告げた上で、中村の士気を確認するため「今、ライオンに追いかけられたら、どうする?」と尋ねました。すると…。

 「食べちゃいます!!」。中村は、こう答えたのです。イケると思ったボクは、このやり取りを渡辺監督に伝えると、監督も「よし、使おう」と起用を決断。移動日をおいて13日のソフトバンク戦でスタメン出場した中村は3打数1安打1打点の活躍。レギュラーの座をついに手放さず、その年、ほぼフル出場して46本塁打で初のホームランキングを獲得。日本一の原動力となりました。

 翌09年も48本塁打で2年連続キングに輝くなど、今や球界を代表するホームランバッターになりました。あの夜、「ライオンが追いかけてきたら?」の質問に「痛いので動けません」と答えていたら、今、西武の打線に中村がいたかどうか…。

 ただ中村の今があるのは、結果が出なくても使い続けた渡辺監督の我慢と眼力があったから。前回のこのコーナーで「渡辺監督ほど選手に気遣いのできる監督はいない」といいました。08年、リーグ優勝を決めたあとの数試合では、こんなこともありました。

 渡辺監督は選手の成績を、いちいちチェックして、最多安打を競い合ってきた片岡と栗山が167安打で並ぶと2人ともベンチに下げたり、規定打席に届かないものの佐藤友、後藤武が打率3割をギリギリ超えたとたんに交代させたのです。「タイトルとったり、3割打てば、給料も上がるし、気分もいいだろ」

 そんな気遣いを選手たちも感じ取っていたのでしょう。リーグ優勝決定後、祝勝会の2次会は遠征先の札幌のクラブを借り切って首脳陣、選手一緒になって祝杯をあげました。本来、選手は仲間同士で騒ぎたいものです。ボクは他球団を含め、いまだかつて、1次会はともかく、2次会まで監督が選手らと一気飲みして喜び合った祝勝会なんて聞いたことがありません。それほど、渡辺監督は選手から人望を集めていたのです。

 次回は、そんな渡辺監督とのプロ入り当時のエピソードについてお話ししましょう。

 ■大久保 博元(おおくぼ・ひろもと) 1967年2月1日、茨城県大洗町生まれ。水戸商高から豪打の捕手として84年にドラフト1位で西武入り。92年にトレードで巨人へ。「デーブ」の愛称で親しまれ、95年に引退するまで、通算303試合出場、41本塁打。2008年に打撃コーチとして西武に復帰。現在は東京・新宿区の自宅で開校する野球教室「デーブ・ベースボールアカデミー(DBA)」などで活動している。

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